研究課題/領域番号 |
25884004
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
高橋 恭寛 東北大学, 文学研究科, 専門研究員 (70708031)
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研究期間 (年度) |
2013-08-30 – 2015-03-31
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キーワード | 中村惕斎 / 蟹養斎 / 『小学』 / 儒学思想 / 教育思想史 |
研究概要 |
本研究では、儒学思想という専門性の高い知識について、学習者はどのように着手することが出来たのか、ということを一つの研究課題として考察を進め、江戸期の儒学思想受容や学問世界の解明を試みた。 「朱子学」入門書『小学』や、そのほか初学教育書の受容について考察することを試みた。まずは、儒学関係テキストが充実した17世紀後半に京都で活動していた「朱子学者」中村惕斎(1629~1702)を取り上げた。惕斎は、「朱子学」に忠実なため、その学問内容も同時期の伊藤仁斎などに比べれば独自色が大変薄い。ただ、惕斎は『入学紀綱』という入門書や『講学筆記』という学術解説書を著している。『入学紀綱』からは、惕斎が学習者たちに体得してもらいたい学問内容について言及されており、『講学筆記』もさりげない仁斎批判も見られ、「朱子学」を軸にした学習について17世紀後半の学術世界の一端を垣間見ることが出来た。 また、「朱子学」の入門書『小学』は、「朱子学」を奉じた山崎闇斎の学派が最も重要視していると言える。なかでも、江戸中期名古屋藩を拠点に活動した闇斎学派の蟹養斎(1705~1778)は、『小学』を重視し、自らの手で学問階梯の構想を練って学塾での教育に取り入れていた。『小学』を童子のみの入学書とするのではなく、学習者であれば大人であっても読まねばならない書と見なしていた。さらに養斎は、『小学』をはじめとしたテキストで、「粗々」道理を理解することを求める。学習者に応じた学習段階を模索していた。江戸中期に至り儒学学習に向かう人口が増えるなか、学習者をどのように教えてゆくのか、という問題が専門的儒者のなかでも課題となってきていたことを、蟹養斎の著作から捉えることが出来た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まずは江戸前期の「朱子学」受容の状況を見るために中村惕斎を考察したが、惕斎が「朱子学」に則ったかたちでの初学教育の領域を出ておらず、未だ『小学』の活用に関してもこれといった言及のないことを確認した。江戸前期社会においては、松永尺五『彝倫抄』をはじめ、儒学の「五倫五常」といったキーワードに関する思想解説書が中心であり、『小学』をどのように活用するのかほとんど言及が無い。それは惕斎にも言えた。また、出版に力を入れていた貝原益軒も中国の陳選『小学句読』に基づいて論ずるに留まっている。山崎闇斎が『大和小学』を著して、闇斎の学問に『小学』を組み込むのが読み取れるであった。そのため、『小学』の積極的利用は闇斎学派のなかでも浅見絅斎・三宅尚斎という闇斎高弟によるものであることが分かっている。とりわけ三宅尚斎に関しては、庶民教育に『小学』の理念を踏まえたことで知られている。そこで学問が普及した江戸中期以降の分析に移っている。 一般的に『小学』に関する注釈書は多く闇斎学派によって記されているが、それらは名古屋市の蓬左文庫に多く見る事が出来る。蓬左文庫の資料を活用し、蟹養斎を中心にして江戸中期の初学教育の事情を把握することが出来た。ただ、蟹養斎に関する思想分析は、豊富な資料を手に入れたことでその思想世界との関連で論ずることが可能となった。それらの資料からは、養斎が学問が普及して様々なモチベーションの学習者が登場したことを課題とした儒者であったことが窺え、蟹養斎の教育思想の分析をこれからも深めてゆかねばならないという状況にある。
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今後の研究の推進方策 |
まずは、引き続き蟹養斎についての思想的な分析を継続し、養斎の初学教育論についてまとめてゆく。『学準』『勧学』など、初学者に向けて、何故学問を学ばねばならないのか、そして学ぶなかで生じる疑問などに養斎は答えており、『小学』利用に留まらない、初学者に向けて論じようとしていた養斎の問題意識の解明へと繋げてゆく。 同時に大倉山や無窮会など関東圏へ資料収集に行き、広く『小学』関係テキストの検討を試みたい。蟹養斎を起点にして、師匠の三宅尚斎、そして浅見絅斎など山崎闇斎の高弟が『小学』注釈書について言及を始めたことからも、彼らの『小学』注釈書・講義記録についての分析も検討してゆかねばならない。一方、蟹養斎の弟子にあたる中村習斎なども『小学』注釈書を残していることからも検討課題に含めることが出来る。時代が下ることによって、地方でも藩校・私塾が広まり、人々の間で儒学思想を学ぶことが一般化してゆくなか、地方の知識層がどのように初学者に意識を向けていたのか、という点も検討課題となりえる。ただし、分析する儒者などの数を増やすだけ分析にはそれ相応の時間を要する。深く取り上げる取り上げる儒者についても、多少の取捨選択の必要を要すると思われる。 また、日本の儒者における『小学』受容の解明を試みるだけではなく、中国や李氏朝鮮の儒者が『小学』をどのように取り上げたのか、初学者教育書なども比較対象として、考察の視野に入れてゆくことを検討する。
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