2年にわたる研究調査の最終年度として、26年度の研究調査は、坪井の人類学学問背景及び社会における時代背景を理解したうえで、坪井が企画した大阪勧業博覧会併設の学術人類館を理解することに主眼を置いた。調査は、文献、史・資料調査が中心に、坪井の学問背景に関しては、『東京人類学会雑誌』、『東京人類学会報告』『史学雑誌』等の学術のみならず、その思想的背景も知るべく坪井が『太陽』に寄稿した「帝国版図内の人種」、『中学世界』の中の「洋行談話」及び坪井の著書『うしのよだれ』も精査した。時代背景調査としては、当時日本語英語を中心にした多言語で発刊された風刺画雑誌『東京パック』を通覧した。 これらの調査の結果、坪井の企画した学術人類館、またその後東京帝国大学で開催された人間標本展覧会の展示において、坪井は当時欧米の人類学会でもすでに廃れ始めた社会・文化進化論とは一線を画し、欧米においても当時まだ確立していない文化伝播論的理論に通じる文化の類似性ということを構想した展示を行っていたということが理解できた。 本調査から、坪井の展示会の原点であった1889年パリ万国博覧会の人類学敵テーマに沿った展示に於いて、「理論的に誤っている」と坪井が言及した点は、進化論に対する痛切な批判であったことが、その後の坪井の展示会からもうかがい知ることができた。同時に、当時坪井と同様の学問背景を持つ欧米人類学者が同様の展示を見た際、その展示を称賛し、その後進化論的展示を繰り返しおこなったということを鑑み、同じ起源をもつ学問に於いてもその社会背景によって異なる発展を遂げるのではという仮説とともに、今後の研究課題が浮かび上がってきた。 最後に、19世紀~20世紀初頭の人間展示の博覧会には、展示される人間を「調達」するビジネスが存在していた記述があり、今後博覧会研究の中にビジネスも研究対象として着目し、解明することを考えた。
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