研究課題/領域番号 |
25884074
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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研究機関 | 東京女学館大学 |
研究代表者 |
西 弥生 東京女学館大学, 国際関係学部, 講師 (50459939)
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研究期間 (年度) |
2013-08-30 – 2015-03-31
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キーワード | 東寺 / 事相 / 教相 / 醍醐寺 / 仁和寺 / 勝賢 / 守覚 / 大日経疏 |
研究概要 |
平成25年度には、西弥生「中世寺院社会における「東寺」意識」(『史学』第81巻、2012年)において一部検討した「東寺」意識の萌芽の内実をふまえ、真言宗諸寺院において共有された「東寺」僧としての意識が、いかなる過程で社会的に定着したのか、跡づけを行った。また、「東寺」概念の定着と密接な関係をもつ問題として、真言宗の事相(祈祷)の基礎確立までの過程についても一体的に検討を行った。具体的な研究内容としては、12世紀に活躍した醍醐寺勝賢の「東寺」僧としての活動実態を検証した。勝賢は醍醐寺僧の中でも比較的早い段階で「東寺」僧を称した人物である。勝賢は醍醐寺の発展に寄与したのみならず、東寺長者として真言宗の事相の発展にも尽力し、さらには東大寺別当として南都における真言密教の布教にも貢献したが、本研究ではその内実について明らかにした。また、勝賢から仁和寺守覚への事相伝授の実態に注目する中で、「東寺」という概念の形成に重要な意味をもつ守覚撰『追記』の内容と撰述背景についても検証した。「東寺」は中世真言宗における一大勢力となった集団である。真言宗内外における幅広い活動を通じて、勝賢が「東寺」概念の社会的定着に果たした役割を明らかにしたことは、真言宗史の解明において重要な意味をもつ。 また、東寺を拠点とした教相(教義)の内実についても検討を行い、教相を主な内容とする「大日経疏」が、論義や日常的な修学の場でいかに活用されていたのかについても明らかにした。従来の歴史学において、真言宗の事相と教相との関係性については等閑視されてきたが、事相に軸足をおく聖教と、教相を主体する聖教とが内容的にいかなるつながりをもっているのか、本研究では具体的な跡づけを行った。このことにより、真言宗の事相が教相によっていかに教学的に裏づけられていたのかが明らかになり、事相と教相との関連性の一端を提示することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成25年度における当初の計画としては、①「東寺」概念の定着過程についての検討と、②「東寺」教団の事相に基づく活動実態の解明とを掲げており、両者は密接な関連をもつ問題として、一体的に検討を進めてきた。研究の前提として、事相に関わる重要な聖教を多く伝存する醍醐寺における史料調査を行い、その中で本研究課題の遂行に有効な多くの情報を得ることができた。 平成25年度の課題をより具体的に示すと、第一に醍醐寺勝賢の「東寺」僧としての活動実態を検証することと、第二に仁和寺守覚撰『追記』の内容と撰述背景を検証することであったが、これらの問題については相互に関連づけながら考察を進め、研究発表を行ったほか、学会誌『古文書研究』に論文を投稿した。特に醍醐寺勝賢については、醍醐寺に伝存する文書・聖教の調査により、重要な史料が見いだされ、これらの史料を最大限に活用することで、勝賢の「東寺」僧としての活動実態を検討することができた。 第三の課題として挙げていた、後宇多法皇と事相との関わりをめぐる分析については、必ずしも十分な検討ができなかったが、後宇多法皇は真言宗の教相の発展にも寄与した人物であることから、平成26年度の課題として掲げている、東寺の教相をめぐる問題と一体的に、引き続き分析をしていく予定である。 以上のように、平成25年度はおおむね当初の計画に沿って研究を進めてきた。もともと確固たる定義をもたない「東寺」という概念の形成過程を具体的に明らかにするのは必ずしも容易なことではないが、「醍醐寺史料」や「東寺観智院金剛蔵聖教」からの史料収集を行い、その分析を進める中で、解明の方向性を見出すことができつつある。また、西弥生「中世寺院社会における「東寺」意識」(三田史学会『史学』第81巻、2012年)の内容を深化させる成果が得られた点からも、現時点においてはおおむね順調に進展していると考える。
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今後の研究の推進方策 |
研究計画に関して大きな変更はなく、今後も当初の計画に沿って、①「東寺」教団の教相に基づく活動実態の解明と、②事相と教相との包括的検討を行う予定である。研究の前提として、醍醐寺における史料調査および「東寺観智院金剛蔵聖教」の閲覧を今後も継続して行う。具体的にはまず、「東寺観智院金剛蔵聖教」から東寺における教相修学の実態を検討することにより、醍醐寺や仁和寺が主導した事相に対し、東寺はいかなる教相を打ち出したのかを考察する。また、醍醐寺における史料調査の成果に基づき、真言宗における東寺教相の普及の実態を検討する。最終的には事相と教相という二面から、中世真言宗における一大勢力であった「東寺」集団について包括的に評価することを目指している。 これまでの寺院史研究は、東寺史・醍醐寺史・仁和寺史などというように個別寺院研究という枠にとどまってしまっていたが、本研究では、諸寺院からなる教団史研究としての「東寺」研究という新たな視点から、真言宗の構造を抜本的に見直すことで、個別寺院を対象とする限定的視野に立った従来の研究が直面している壁を打破したい。また、歴史学では真正面から扱われることの少なかった絵巻を積極的に活用することにより、歴史の「実態」と「叙述」された歴史との二面性をふまえて中世真言宗を評価したい。 但し、上記のような問題意識のもとで、東寺や醍醐寺といった畿内の大寺院を主として考察していくにあたり、見落としがちとなるのが地方寺院との繋がりである。こうした問題を克服すべく、神奈川県立金沢文庫などにおける史料調査に今後も継続して参加することで、畿内に視野を限定せず地域的な広がりをもって真言宗寺院の法会のあり方を考えるよう心がけるつもりである。 絵巻や教義内容も研究対象として積極的に取り扱うことで、日本中世史のみならず、仏教学や美術史などの関連諸分野にも新たな知見を提供していきたい。
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