研究課題/領域番号 |
26284002
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
一ノ瀬 正樹 東京大学, 人文社会系研究科, 教授 (20232407)
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研究分担者 |
DIETZ Richard 東京大学, 人文社会系研究科, 講師 (10625651)
榊原 哲也 東京大学, 人文社会系研究科, 教授 (20205727)
石原 孝二 東京大学, 総合文化研究科, 准教授 (30291991)
松浦 和也 東京大学, 人文社会系研究科, 助教 (30633466)
鈴木 泉 東京大学, 人文社会系研究科, 准教授 (50235933)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 被害 / リスク / 合理性 / 災害 / 記述性 / 規範性 / 復興 |
研究実績の概要 |
一ノ瀬は、「いのちは大切」という観念に絡めて、しかもそれを福島原発事故後の諸問題に絡めて、被害や予防について論文にまとめた。また、不作為の因果的機能について、京都でおこなわれた国際学会で発表した。榊原は、災害に見舞われた人々のケアについて考察するべく、現象学的哲学の立場から、さまざまなケアの営みとその構造について考察を行った。そしてその成果として、フッサールの分析を手がかりとしたケアの現象学について台湾でおこなわれた国際学会で発表した。鈴木は、災害・カタストロフィーをめぐる議論の典型として、18世紀における地震をめぐる神義論、不安概念と関わりのある保険・年金をめぐる議論、以上二点について、ライプニッツを中心に検討した。ディーツは曖昧性の概念について、分析哲学的なアプローチからの考察を進めた。その考察の成果として、ドイツや韓国で開催された国際学会において、Menu-dependent distinctions、AboutnessあるいはTorelance等といった概念を用いた曖昧性概念の分析についての発表をおこなった。石原は公的支援について、当事者学やリスク論の視点から、哲学的な検討をおこなった。松浦は、アリストテレスのアクラシア論が則っている考察方法の出発点であるパイノメナの用例を精査し、通念としてのパイノメナは感覚あるいは現象としてのパイノメナを基盤として成立するという関係があることを明らかにした。そしてその成果を東京でおこなわれた国際学会で発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
平成26年度は、研究分担者全員が、被害、リスク、合理性をめぐる研究の基礎固め活動を行った年として総括できる。例えば研究代表者は夏に京都大学にて開催された国際学会にて不作の因果についての報告を行った。不作為の因果を主題化することは、福島第一原子力発電所の事故が、避難訓練をしっかりと行わなかったことがパニック的な状況を生み出し被害を増幅させた点、放射線教育を十全に行ってこなかったことが不必要かつ過剰な恐怖や不安を生み出し被害を増大させた点、事故直後に専門家を直ちに現場に派遣し正確な測定をさせなかったことが情報不足と不安感と混乱を生み出した点、これらを考えたとき、災害被害というものに立ち向かう基本視座を検討・考察することになることは明らかである。研究代表者は私たちが共有する規範的意識の分析が必要であること、不作為の因果関係は実は通常の因果関係の深部に位置する本質的な様態であること、などを指摘した。さらに、そうした理論的検討を踏まえて、津波震災や原発事故の直後からしばしば言われてきた「いのちは大切」という物言いについて、その価値観は実は、事実的にも規範的にも、相対であって、つねに「いのちは切なし」というもう一つの観念と連動していること、そして、それは容易に確認できる自明なことにもかかわらず、なぜか一定数の人々がそうした自明な事態に目を背けて、「いのちは大切」という命題をまるで絶対的な命法であるかのように掲げるのかと問いを向けると、そこには、人間本性の基底部を意外な仕方で形成する自己欺瞞の様相が浮かび上がるのではないか、というものであった。これ以外に、研究代表者以外の分担者も、たとえば、ケアの現象学的追求と臨床的研究活動を通じて、被災者に私たちが向き合う視点について考察を深めた。全体として言えば、現地福島に直接出向いての活動がまだ未実行なので、そうした意識を次年度に橋渡ししたい。
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今後の研究の推進方策 |
平成27年度は、現地福島に出向いての実践的対話・調査を行い、理論的考察をより現実的な仕方でダイナミックに展開していく橋頭堡を築くことを第一に果たすべき方策として推進していきたい。具体的には、研究代表者が本課題実施前にすでに遂行してきた現地福島での活動に連動する形で、南相馬市立総合病院の坪倉医師を訪ねて現地の医療事情についての聞き取りを行うか、あるいは、飯舘村に出向いて仮設住宅の状況の聞き取りを行うか、少なくともいずれかを行うことを最初の手がかりとしたい。そして、そうした実体験・実地調査を踏まえて、リスク、被害、合理性ということについて、リアリティを伴うような考察を積み上げていきたい。また「何もしない」ということが、いかに重大な因果的影響をもたらすかという、不作為の因果関係の問題についても、一層の具体性のもとで研究を展開していく。「いのち」、「パーソン」という基本的概念について、人間のみならず、動物まで射程に入れて考察し、そのことによって、災害発生時の動物やペットの処遇の問題に関する視野を開く、ということも今年度この課題を推進するに当たっての一つの方策としたい。こうした方策をめぐることで、「である」と「べきである」という対比、すなわち記述性と規範性という、本課題の鍵をなす対概念のありようの実相について、深みに分け入っていく一歩としたい。やや副次的なことになるが、研究代表者は本年度、死刑問題についても年来の研究を進め、学会発表などを果たしていく予定である。それにより「いのち」をめぐる考察に厚みをもたらし、よって、災害被害において顕在化する「いのち」の重みについて、別角度からの論点の補強へとつなげていく。ケアの現象学的探究、当事者研究、といった、他の研究分担者の研究動線もまた、「災害復興の哲学」という本課題のテーマへと収斂する形で、全体が調和的な活動となるべく、準備万端である。
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