2018年度は、警察社会事業と方面委員制度を単に比較するだけでなく、両者を大阪の社会事業のより広い歴史的文脈の中に位置づけることを目指して研究を進めた。そのために戦前に設立された社会事業施設の歴史を検討することとし、社会福祉法人などが所蔵する資料群を調査した。その調査先は、博愛社、聖徳会、毎日新聞大阪社会事業団、四恩学園、日本社会事業大学附属図書館、武田塾など17施設に及んだ。この調査を通じて、大阪の社会事業諸施設の歴史を群として、網羅的に調査・研究する必要性を認識するに至った。イギリス史流に言うと、大阪の「福祉の複合体」(高田実)の動態変化を論理的に把握する必要性ということになる。また、戦前大阪の社会事業の歴史が、(①明治期)公的慈善事業施設の不在とそれを代替する侠客慈善事業→(②1911年の済生勅語発布以降)警察社会事業の開始と公的社会事業施設の創設→(③1918年の米騒動後)方面委員制度の創設と大阪市社会事業の開始(社会事業のセツルメント化)という図式で展開するという見通しを得ることができた。さらに、①明治期の慈善事業については、棄児養育という町共同体機能の喪失(身分制の解体)とともに、その機能を代替する孤児院群の創設といった特徴があること、②日露戦後の社会事業については、社会事業界に救済事業研究会などの「研究(会)」が持ち込まれ、施設運営面での一定の合理化がみられたこと、③米騒動後の社会事業については、都市下層住民自らの主体性を認めた上で、下層住民の地域改善の取り組みを知識人や方面委員が支援するといった特徴があったこと、などを確認できた。以上の研究成果を、大阪歴史博物館での特別展「100周年記念 大阪の米騒動と方面委員の誕生」(2018年10月3日から12月3日)として公表した。
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