研究課題/領域番号 |
26289221
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
谷川 竜一 京都大学, 地域研究統合情報センター, 助教 (10396913)
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研究分担者 |
川喜田 敦子 中央大学, 文学部, 准教授 (80396837)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 北朝鮮 / 社会主義建築 / 戦災復興 / 日本植民地 / 冷戦 |
研究実績の概要 |
本年度は、植民地時代の北朝鮮地域の都市・建築状況の把握、及び1950年代の北朝鮮の主要都市(平壌・咸興)の戦災復興の把握を行った。特に後者に関しては大きな成果があり、出版1点、本研究プロジェクトの枠組みで設けた学会パネルおよびそこにおける発表、さらに学術発表2回を行うことができた。また、ドイツ調査では咸興復興に関与した古老に聞き取りを行った。 出版では、『記憶と忘却のアジア』(青弓社、2015年3月、96-119頁)において、「往古への首都建設」として平壌における朝鮮式建物の全容を明らかにすることができた。世界的にみても既往研究のない北朝鮮の朝鮮式建物という様式の発生・発展の経緯を示した点で、大きな成果となった。 また、朝鮮史研究会の年次大会では「朝鮮戦争からの復興と都市・建築―平壌・咸興の事例から―」として、本研究の研究構成者(谷川・川喜田・富田)によって3本の発表でパネルを組織し、1950年代の主要都市の復興の過程を議論することができた。特に、北朝鮮の都市復興プロジェクトが国際的様相を示した点を、川喜田によって冷戦下の政治・経済的な枠組みの中で議論しつつ、それが具体的な建築へと反映されることを谷川・富田らで示すことができた。研究会では多くのコメントや助言などを頂き、議論も充実し、新しい角度からの学際的研究として評価された。 研究発表では、研究代表者である谷川が、戦前の平壌の都市計画過程を追い、「戦時期朝鮮社会の諸相」研究会(代表・水野直樹、京都大学、2014年7月(学術報告))において、「朝鮮市街地計画令と平壌都市計画書」として発表を行った。本発表では水沢における資料調査などが大きく役立った。また、日朝学術研究会第9回例会(同志社大学、2015年3月(学術報告))では「金日成広場の来歴」(谷川)として平壌の中心市街地の変遷を詳細に追った成果を発表することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
東西冷戦下での北朝鮮復興援助の枠組みが、当初は限られたドイツなどの視点でしか分からない可能性もあったが、研究開始後により詳細な新聞資料や現地資料などを調査する中で、大きく前進することができた。 成果発表として学会におけるパネル発表などを組織できた点などが大きい。本研究と関連する研究者らとネットワークを作れたことに加え、そうした人々が大変力強くバックアップしてくれたおかげで、タイミング良く、なおかつ充実した研究視点や資料の所在情報などを得ることができた。
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今後の研究の推進方策 |
戦前の北朝鮮地域の資料はまだまだ多く、その分析に力を注ぎながら、本年度(2015年度)は1960年代以降の北朝鮮の建築・都市状況の解明を進めたい。特に1960年代、70年代は北朝鮮の体制確立期にあたると同時に、国際的な援助等から離脱する時期でもあり、資料が限られている。その課題を解決するために、周辺分野の研究者とこれまで以上に緊密な連絡や情報共有を行いながら、研究を進めたい。新たな研究者との意見交換の場なども積極的に今年度は設けたいと考えている。 一方で、戦前の北朝鮮は日本植民地の中でも水力発電をベースにした工業化著しい地域であった。本研究が対象とする咸興・興南などはそれ抜きには議論出来ない都市でもある。それらの都市の建設者たちは、日本国内における開発の経験をベースに植民地開発に乗り出しており、現都市の基層を築いたという観点からも、おおもとに遡及して研究を行いたい。本年はその意味で国内資料の発掘にも昨年以上に力を入れたい。 また、海外調査ではロシアを中心とした旧東側諸国の中心市街地の様相をまず把握する必要がある。それらの建築を実際訪れてフィールド調査を行いながら、昨年度行ったドイツにおける文書資料を具体的に理解する一助としたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
重要な朝鮮語文献などの購入費、整理代(人件費)などに予算を予定以上に多く割いたために、当初購入予定であったパソコンなどの購入をおさえたため。
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次年度使用額の使用計画 |
既存のPCでは処理能力が低いために、空間分析などに支障が出始めており、次年度になんとか購入したいと考えている。
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