研究課題/領域番号 |
26289222
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
松隈 洋 京都工芸繊維大学, 学内共同利用施設等, 教授 (80324721)
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研究分担者 |
三宅 拓也 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 助教 (40721361)
福原 和則 大阪工業大学, 工学部, 教授 (50635365)
角田 暁治 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 准教授 (60379063)
石田 潤一郎 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 教授 (80151372)
笠原 一人 京都工芸繊維大学, 工芸科学研究科, 助教 (80303931)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 村野藤吾 / 施主 / 住宅 |
研究実績の概要 |
本研究は、建築家と設計を依頼した施主との関係、建築家と施工業者との関係、建築事務所における建築家と所員との関係、また建築家とその作品に関わる芸術家・デザイナーなど他分野専門家との関係など、いわば建築家と、その業務を分け持ち、建築家を支える人々や組織との関係を解明することを目的としている。 今年度は、まず研究を進める上での準備作業を行った。研究のための基礎資料作成の一環として、図面資料の整理・保存作業を行った。今年度は施主との関係を重点的に捉えるべく、戦前の住宅に絞って、研究対象とする作品を14点選定した。 大丸神戸支店店員寄宿舎(1931年)、大丸神戸支店店員寄宿舎舎監住宅(1931年)、下村邸計画案(1932年)、大阪パンション(1932年)、中山悦治邸(1934年)、武智邸(1934年)、清流亭計画案(1937年)、親栄会住宅(1939年頃)、川崎航空機工業岐阜工場社宅(1939年)、中山半邸(1940年)、中橋邸(1940年)、村野藤吾自邸(1940年)、中林邸(1941年)、湯浅邸計画案(1943年)である。 これらについて、施主と村野の関係について、社史や伝記などの文献や現地調査などを通じて調査し、その住宅ができた経緯や理由、施主と村野との関係などを明らかにした。写真資料の収集も行った。これまでに写真家多比良俊雄らによって撮影されている写真を収集したほか、現存する建物については市川靖史の撮影により撮り下ろした。また村野の住宅について、建築史家の藤森照信氏と建築家の木原千利氏にインタビューを行い、村野にとっての住宅の意味について検討した。これらの研究成果は、第13回村野藤吾建築設計図展を開催し公開した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、研究対象を住宅に絞って、施主との関係を中心に他分野の専門家との関係などにも着目しながら、図面資料を用いて研究を進めた。その結果、従来明らかでなかった村野と施主との関係についての研究が進み、その特徴や設計経緯などが明らかになった。
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今後の研究の推進方策 |
今後も、本年度と同様に調査や研究を進め、村野藤吾の活動について明らかにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度に文具類およびパソコン周辺機器や消耗品が不足する可能性があるため。
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次年度使用額の使用計画 |
必要な文具類およびパソコン周辺機器や消耗品を購入する予定である。
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