研究実績の概要 |
長江流域から日本列島西半部にかけての地域はコイ科魚類が豊かで、その利用は後氷期になって盛んになる。イネが自生していた長江流域では、イネ遺存体に随伴してコイ科魚類遺存体が出土しているにも拘わらず、研究はあまり行われていなかった。日本の考古遺跡においても同様であった。代表者らは前回や本研究課題の中で、中国や日本の先史時代の遺跡から出土するコイ科魚類咽頭歯遺存体の詳細な同定(Nakajima et al., 2010,中島他,2011,2015,2016,2018中島,2014)を行いながら、稲作と漁撈の関係をさぐってきた(中島,2011, 2014)。また、コイ科魚類遺存体の同定にかかせない咽頭歯の比較形態学的な研究をNakajima(2018)にまとめた。 農耕社会に移行する時代の遺跡として中国の賈湖遺跡と弥生時代の南方遺跡(岡山市)のコイ科魚類遺存体の調査を実施した。魚の骨に見られる年輪からは、採捕季節を知ることができる。一般の骨や鱗では種を同定することができないが、コイの咽頭骨は特徴的で、種の同定ができる(瀧他,2018)。この方法によって、南方遺跡から出土するコイの咽頭骨の年輪を観察した結果、縄文時代の産卵期の漁撈とは異なり、秋に採捕されたことがわかった。また、コイの体長分布から、南方遺跡でも初期段階の養鯉が行われていた。賈湖遺跡においても第3文化期には養鯉が始まり、水田稲作以前から水を制御する土木技術が発達していたことがわかった。この成果は今年度調査した長野県松川村での田鯉の収穫データを加えて国際誌に投稿中である。 イネの採集・栽培のきっかけは、野生イネが自生する水辺エコトーンでのコイやフナを対象とする産卵期の漁撈であり、稲作地域での広範囲経済から農耕社会への移行にかかせない水田の発達にも漁撈が養鯉という形で関わっていたことが明らかになった。
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