クメール王朝によっておもに砂岩を利用して建築されたアンコール寺院が19世紀後半に発見された際,その多くは密生した熱帯の植生に覆われ,石材は崩落し,激しく風化していたとされる。このような砂岩材の自然劣化は,樹木伐採を伴う寺院(遺跡)の保存修復事業が進められた19世紀後半以降も続いている。先行研究から,寺院を構成する砂岩材の自然劣化にはおもに乾湿風化,塩類風化,生物風化などが関わっていると考えられてきた。しかし,構造物の荷重に起因するクリープ変形や,寺院の保存修復事業に伴う樹木伐採による石材の乾燥化の影響について検討されることはほとんどなかった。そこで本研究では,アンコール・ワット寺院を対象に砂岩材のクリープ変形,およびアンコール遺跡周辺を対象とした樹林地面積の変化とその砂岩材への影響を分析した。有限要素解析や現地調査の結果,アンコール・ワット寺院の第一回廊では外側に向く内柱基部に圧縮応力が作用していること,その反対側(内側)には引張亀裂が認められること,および外柱や内壁には顕著な劣化が認められないことなどがわかった。すなわち,砂岩柱では乾湿変動に起因する風化に加えて,荷重変形の影響が大きいことが明らかにされた。いっぽう衛星画像解析から,アンコール遺跡保護地区の樹林地面積は,1989年から2015年にかけて増加していた。これは遺跡とその周囲がUNESCOのアンコール保護地域に指定され,樹木伐採が規制されているためと考えられる。樹林地面積の増加は砂岩材の乾燥化を遅らせ,風化を抑制すると考えられるが,これまでに行った微気象学的調査では寺院や砂岩材の高温化が判明している。このため,今後樹林地の規模,構成樹種,および寺院への被覆程度などについて詳細な分析を進め,風化環境の変化に伴う砂岩の風化速度の変化に注意を払う必要があると考えられる。
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