これまで発がん過程とは、突然変異が細胞内に蓄積することによって生じたがん細胞の増殖過程として知られてきた。この視点では、臓器や部位毎に大きく異なる発がん率など、集団の統計的な性質は説明できるが、個人毎に異なる腫瘍の多様性や、遺伝的要因に依存しない罹患率の差などはうまく説明できない。このような発がんにおける個人差は、がん治療を難しくしている要因のひとつでもある。近年、がん細胞が存在するいわゆる微小環境の研究が進展した結果、がん細胞の増殖はそれ自身の増殖能だけではなく、その周りの細胞との相互作用に強く依存している事もわかってきた。 そこで、突然変異が引き起こす細胞の性質の変化(表現型の変化)が微小環境を通じた周りの細胞との相互作用の結果、どのようにがん細胞の増殖に影響するのかを、数理モデルの構築とその計算機シミュレーションを通じた研究から調べた。細胞動態のモデルとして用いたセルラーポッツモデル(CPM)は、細胞の物理的性質(弾性力、表面張力、細胞間の接着)を記述可能であるので、発がんの多段階モデルによる細胞状態変化と組合せる事で発がん過程をモデル化した。がん化の段階としては、正常細胞から2回の突然変異でがん細胞になるとし、突然変異の種類としてはCPMで表現可能な細胞膜の固さ、及び接着力が変化する場合を想定した。当初、計画したのは細胞の相対的な固さが2種類(固い、柔らかい)、また細胞の相対的な接着力が2種類、(ネバネバ、すべすべ)を考え、接着力、固さの2回の突然変異を持つ、計16種類の組合せの変異ダイナミクス(例えば、2回の突然変異でより柔らかく、ネバネバしたがん細胞へと変異)を計算機上でシミュレーションした結果、がん細胞が指数関数的に増殖して腫瘍を形成する場合に加えて、がん細胞がある一定以上は増殖しない、腫瘍が生じない表現型変化の組合せが存在することを発見した。
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