本年度は,昨年度に引き続き,冷戦期の1950-60年代において,日本の科学研究及び科学者について米国政府がどのように評価していたのかを解明するために,米国国立公文書館の所蔵する文書史料の調査を行ってきた.特に,米軍諸機関が行っていた学術的な基礎研究の振興活動について,その目的と実態を明らかにすることに取り組んできた.その結果,米軍は当時のソ連の技術力に対抗するために科学研究全体の振興が必須だとみなし,米国だけでなく日本を含む同盟国全体の科学研究の水準を向上させることを目指していたことと,その一環として,日本の大学など研究機関にする研究資金の提供が行われていたことついて,その実態の一部を明らかにすることができた.これらの成果の一部を,2018年5月27日に東京理科大学で開催された日本科学史学会年会等で発表した. 本研究は,日本への原子力技術導入の歴史について,冷戦期における日米間の外交関係の歴史の中に位置づけることを主要な目的とするものである.しかし本研究を進める中で,原子力技術の導入の背景には,科学研究活動全体の振興そのものを目的とする米国の外交政策があったことが明らかになってきた.1961年に設立された日米科学協力委員会は,そのような目的を持った政策の一部であった.また,1960年代末に「米軍資金問題」として日本で大きな社会問題となった,米軍諸機関が実施していた日本の大学などに対する研究資金の支援活動についても,米国の冷戦政策の一環であったことを明らかにすることができた.そして,そのような米国の目的にとって課題だったのが,日本国内で活発に行われていた米国に批判的な科学者運動対策であったことも合わせて明らかにすることができた. 以上のように,本研究は,米国から日本への原子力技術の導入の背景にあった,科学に関する米国の外交政策についてその一部を明らかすることができた.
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