わが国における原子力発電の技術導入が極めて政治的に行われたことはよく知られた事実ではあったが、政治指導のもとでの原子力安全に関わる議論の特徴を明示することができた。特に(1)研究者たちの根底にあったと思われる「技術は進歩するもの」という科学・技術への信頼感が、目の前に存在する原子炉の危険性や事故解析に対する認識の甘さに繋がったのではないかということ。(2)国産が目指されながらも、技術導入によって商業利用を先行させたことは、原子力安全にもっとも必要な技術データや経験の蓄積を不可能にし、「仕様書としての安全」確保にとどまる結果を招いたこと。(3)実際、日米原子力協定による濃縮ウランの提供によって可能になった原子力研究は、国産化を可能にするような体制で行われることはなく、次々と導入される原子炉の安全性を判断することに追われる形で推移したこと。(4)また商業炉として導入された原子炉の技術情報は公開されることがなく、エネルギー政策によって設置を前提にした安全審査体制であったことなどを、実証的に示す史資料の整理を行った。 原子力のように事故リスクが大きな技術に関する社会的な選択問題について、政治、外交、行政、産業界、学術会議、科学者といったさまざまなアクターをつなぐガバナンスの在り方を検討するための基礎資料になることを示した。
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