岩倉病院(1884年~1945年)は1920年に道府県立精神病院の代用精神病院に指定された。ところがその指定により、公費患者に対して行政から支払われるわずかな金で経営を成り立たせるため、石炭や朝鮮米を使って、岩倉のたきぎや米を使わなくなり、地元に利益をもたらさなくなった。 戦後、(新)岩倉病院(1952年~)の若手医師たちが1970年頃から開放医療を積極的に進めた時、岩倉地域の住民と病院の関係がこじれたが、その原因は代用精神病院の指定の頃から病院と地域の関係が互恵的でなくなったことにあった。精神病に関することは、患者と医者・看護スタッフ間だけのことではなく、地域や地域住民も関わることである。
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