本研究の研究期間全体を通じての課題は,「反省的実践」を身体教育の視点から再検討することを通じて,体育の新しい方向性を指し示すことであった。 本年度は,電子メディア論から現代のポピュラー・カルチャーをめぐる社会状況にまで視野を広げ,学校教育と教員養成の課題に身体論の視点からアプローチした。例えば,電子メディアを通じて大衆社会に影響を及ぼしている現代のポピュラー・カルチャーは,消費社会の神話(差異の消費によって幸福になるなど)をメッセージとして伝えながら,他方では,身体的な次元での高揚感を体験させる契機となっている。ポピュラー・カルチャーとしてのスポーツも,これらを契機としながら大衆に支持されてきたが,それらの契機は人間の身体からアクチャリティを奪う危険性をはらんでいる。新しい身体教育の可能性として,今年度はシュスターマンとフーコーの「自己への配慮」を取り上げた。第一に,「自己」とは,自分の健康や生活習慣などを反省する身体的存在者であり,第二に,「自己への配慮」とは,精神志向ながらも身体への関心が重要性をもち,自然の助力で自分と交渉すること,第三に,何を考えたかではなく,何をおこなったかを振り返ることである。 電子メディアやポピュラー・カルチャーの現代的な問題状況を俯瞰するとき,前年度までに検討してきた「反省的実践家」としての教師を育成することが課題となるが,そのためには「実習教育」の充実と「自己への配慮」としての身体教育が必要になる。前者の事例として「弘前大学の教員養成学センター」と「ケルン市の教員養成制度」,後者の事例として「1970年代の宮城教育大学」を分析し,前者の場合は,教師の「実践力」と「専門力」を統一的に養成する課題があること,後者の場合は教師の専門領域を横断するという課題があることを結論した。これらの結論は,期間全体を通じての研究の成果とも結びついている。
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