研究課題/領域番号 |
26360014
|
研究機関 | 広島大学 |
研究代表者 |
別所 裕介 広島大学, 国際協力研究科, 助教 (40585650)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
|
キーワード | 現代チベット / 聖地表象 / 巡礼 / 移動 / 信仰圏 |
研究実績の概要 |
本研究は、「巡礼」という宗教実践を題材として、中国領有下の現代チベットに再生する民衆信仰をこれまでよりも包括的な視点で捉えようとするものであり、研究の初年度となる本年は、青海チベット地域で名実ともに最大の聖山と称されるアニ・マチェン(日本名アムネマチン)の干支年巡礼(午年ごとに聖山を巡拝する風習)を対象に、量的統計と質的調査の両面からアプローチを行った。 2014年8月に行った現地調査では、聖山への登山口にあたるツァルナクカムドという場所に定点観測地を設け、10日間にわたって巡礼者の出身地とグループ属性、ならびに移動手段についての調査を行った。また、調査者自身が徒歩で実際の巡礼ルート(一周180Km,所用5日間)を踏査し、ルート上に展開する各種霊跡の現況を実見するとともに、霊跡を訪れた個別の巡礼者たちが実践する儀礼行為の参与観察を進めた。さらに2015年3月には、アニ・マチェンにおいて「五体投地」による巡礼を実践した巡礼者を対象とした追跡調査を行った。以上の現地調査により、改革開放後の中国チベットで宗教活動が再開されて通算3度目となる「干支年巡礼」(1990,2002に続く3周期目)の現在的な特徴をとらまえることができた。その特徴は主に以下の2点に要約することができる。 1)1990年の午年巡礼に関する文献調査資料、および2002年に報告者自身が行った調査の結果と比較して、今回の2014年午年には、周辺住民による商業化(飲食・宿泊・小売施設の開設)と、非チベット人来訪者による観光化の2つの局面が如実に観察され、市場経済の大規模な浸透が観察された。 2)他方で、聖山巡礼の宗教的な規定要因については、過去2回分の資料と比較して大きな差は見られなかったものの、市場経済化と移動手段の多様化によって、聖地の表象手段が画一化するとともに、信仰実践が純粋化されていく傾向が感じ取られた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究が最終的に達成を目指す目標は、市場経済化の進展と昨今の汎チベット民族主義の高まりの中で、現代チベットの信仰実践を、実践者自身の内的宗教経験の地平から理解する方途を開拓することで、従来のチベット研究が払拭しきれなかった「民衆の宗教行為に対する外在的な理解の枠組み」を乗り越えることである。このため、12年に一度の周期で民衆の信仰活動が大規模に活性化する「ニンディ」(干支年巡礼)を好機ととらえ、個別の聖地に対する宗教表象の増加と、これに対応する信仰圏の広がりの双方を、実地における巡礼者への対面インタビューと、定点観測による量的統計調査の2つの手法を用いて明らかにすることを目指している。 このような研究計画の全体像において、本年は「ニンディ」の最初のムーブメントであり、青海チベット地方に特定の聖地への信仰に基づく大規模な移動現象が引き起こされるアニ・マチェン巡礼に焦点を合わせ、2回の現地調査を実施することで、十分な調査資料を入手することができた。特に、聖地の宗教表象に対する分析手法として提起したA)近代性を加味した「応用型仏教化理論」、B)それによる「民衆信仰の今日性」の解明に向けて、現地調査によって①民衆の信仰実践に関する十分な参与観察資料、②860名分におよぶ豊富な統計資料、③現地で入手することのできた3種類の新たな「聖地文書」、の3つのデータを取得できたことは、研究目的の進捗を大きく前進させている。先述のようにアニ・マチェンは当該地方最大の聖山であり、現代青海チベット人の宗教信仰の動態を探るうえで格好の素材を提供するものであるため、研究の初年度にこれらのデータを入手できたことは非常に重要である。 以上の経過により、本年度の分析目標としていた「聖山巡礼の現代性」と「信仰圏の広域化構造」の2点について、現在までおおむね順調に進展していると自己評価することができる。
|
今後の研究の推進方策 |
上述した諸種のデータは、民衆的宗教表象と信仰圏の広がりに関する論考として学会で公表される段階に入っている。2015年5月に開催される日本文化人類学会大会ではその一端が報告される。また、統計調査と質的調査を統合した結果として、日本宗教学会の紀要に収載される予定である。 次年度は、従来計画通り、青海チベットのもうひとつの重要な信仰対象である「ツォ・ゴンボ」と呼ばれる聖湖(青海湖)を対象として、文献調査と現地調査の両面から集約的な調査研究を進める。本年度の調査手法によって十分なデータが入手できたことから、次年度も継続して同じ手法による調査活動を続けていく。なお、本巡礼活動は琵琶湖の6倍の面積を持つ湖をまるごと周回するものとなるため、現地調査にあたっては青海湖の主要な霊跡である「ツォ・テルサ」に定点観測地を設置し、前年度同様のフィールドワークを進めるとともに、車輛を借り上げて湖を周回し、各霊跡で実践される儀礼活動に参与する。現地調査は夏季と冬季の二回を予定している。 次年度後半にはツォ・ゴンボの調査結果をまとめた資料を日本チベット学会の全国大会(11月)において発表する。そこで得られた意見をもとにさらに冬季調査で修整を行い、年度末には論考として同学会の発行する学術誌に投稿する計画である。 今後の研究の推進方策としては、初年度のアニ・マチェンと併せて、次年度のツォ・ゴンボの現地調査を順当に進めることで、その後に予定されているヂャカル・ゼーゾンの調査に向けても十全な体制を整え、いずれもニンディの宗教活動の対象である3つの巡礼地に関する包括的な調査資料を完備させることで、現代チベットの民衆的宗教活動の内在的な理解に向けて調査資料の総合的な分析環境を整え、研究成果の効果的な発信につなげていきたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
2014年度に次年度使用額が生じた理由は次の2点である。①現地フィールドワークについて、次年度は車輛による現地調査の遂行が不可欠であるが、これにかかる費用が高騰しており、より多くの予算を次年度に確保しておく必要があったため。②年度途中から加わった時限付き他機関経費(1年間のみ)によって本年度の必要経費を一部補てんできたことから、当該助成金の一部を次年度の重要な必要経費に廻す余裕が生じたため。
|
次年度使用額の使用計画 |
次年度には、20日間を超える現地調査を、ランドクルーザー型の車輛を借り上げて行う必要がある。現地では、近年のチベットの経済情勢に加え、中国全体の景気動向の底上げにより、ガソリン価格の高騰とドライバーの雇用費の上昇が激しくなっており、加えて高地での調査活動に伴うセキュリティ確保の必要性が従来よりも高まっている。このため、当初計画したよりも多くの車輛借り上げ関連費用が必要と予想される。翌年度分として請求した金額だけでは賄いきれない懸念があるため、次年度分の現地調査費用と併せて、本次年度使用額を執行する計画である。
|