平成29年度では、下記の研究実績ができた。 1)遼金元時代北京地方の禅宗実態の解明。遼金元時代の北京は仏教の中心地であるため、禅宗の数多くの人物がここに活躍していた。だが、当初の禅僧たちに関する資料は、高僧伝や伝灯録などの文献に全く見えない、或いは簡単すぎる記載しか見えない場合が多く、かえって、各地に散在している仏教遺跡、特に碑文資料には、遼金元時代の北京地方で活躍した禅僧の資料が時々見られ、それは当時の北京地方の禅宗実態を反映する貴重な資料である。今、こういった資料によって、下記の事実を判明した。①遼金元時代、北京地方に進出・活躍した禅僧は人数が多く、禅宗五家の中、臨済宗・曹洞宗・雲門宗・法眼宗の四家までも及んでいる。臨済宗は特に人数が多い。②禅宗各派の間、協力して共同事業を行ったことがあり、例えば万松行秀よる海雲へ、林泉従倫よる雪堂普仁へ、大都三禅会よる少林寺へとの支持は、いずれも協力事業である。③高僧伝や伝灯録に見られない禅宗人物およびその事績・遺跡として、曹洞宗には、青州希弁の遺跡(「白瀑院正公法師塔記」逸文、仰山棲隠寺の「重修青州弁祖塔略」碑首)、万松行秀の遺跡、彼の弟子従檀・従和・徳方、孫弟子本連・月泉同新、林泉従倫の逸文(「重修牛心山慧禪院記」)などが確認された。臨済宗には、元刊本『臨済録』序文を踏まえて、石刻史料に散見された遼金元時代多くの僧侶の臨済宗における所属関係と伝承関係が分かった。その中、天目斉と鄭州宝との両系統は特に注目する値があり、雪堂普仁に関する新発見が特に多い。 2)遺跡調査と禅宗各派の拠点の確認。曹洞宗の拠点は仰山棲隠寺(遺跡あり)・大報恩寺(現在の磚塔寺)・大万寿寺・大覚寺(現存)、臨済宗は大慶寿寺(遺物あり)・竹林寺・潭柘寺(現存)、雲門宗は大聖安寺(遺跡あり)・大延聖寺(鉄璧銀山、遺跡あり)・紅螺寺(再建)がある。
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