本研究は、日本における陽明学資料の流入・流布の経路およびその影響の具体的な過程を解明し、日本における陽明学の受容史を文献考察の角度から明らかにすることを目的とするものである。方法としては、日本国内の公私収蔵機関に所蔵されている王守仁の書跡、中国版および日本の和刻本や日本人による注釈書・解説書などの文献資料に関する網羅的な調査を行い、基礎的な文献に対する着実な研究に基づき、日本における陽明学の受容の実相を明らかにする。 平成28年度においては、論文「佐藤一斎是否一個朱子学者ー従『欄外書』中的記載談起」(『歴史文献研究』第37輯、華東師範大学出版社、pp138-147、2016.9)を刊行し、江戸後期における大儒、佐藤一斎が、当時長崎から輸入された最新の陽明学文献を利用しつつ、いかにして陽明学の影響を受け、その学説を日本の環境の中で生かし、自己の学説として発表していったかを明らかにした。掲載誌『歴史文献研究』は、中国において権威ある学術誌であるため、従来この問題を知ることのなかった中国の学者からの大きな反響を得たことは、学術交流上、極めて有意義であった。日本の学界においても、従来は、資料を精査することなく、佐藤一斎を朱子学と陽明学を兼ねて受容していた、と漠然と述べられていたが、本研究によって、彼が重要な学説において、ことごとく陽明学の観点を採用していたことを明示できたことは、大きな意義を有することであった。 学会発表としては、韓国、成均館大学より平成28年8月に招待を受け、「経学的源流与創新―従歴史性与地域性視野」国際学会において「『聖蹟図』在日本江戸時代的出版与伝播」と題する発表を行った。本発表においては、江戸期において中国から日本に輸入された儒学資料が、いかに日本的に変容したうえで再生産されていったかについて、韓国、中国の学者に示すことができ、極めて有意義であった。
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