研究課題/領域番号 |
26370080
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研究機関 | 京都教育大学 |
研究代表者 |
荻野 雄 京都教育大学, 教育学部, 准教授 (50293981)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | クラカウアー / アドルノ / オッフェンバック |
研究実績の概要 |
本研究は、ワイマール共和国および第二次大戦後のアメリカで活躍し、近年再び世界的に脚光を浴びている思想家ジークフリート・クラカウアーの根本モティーフを明らかにしたうえで、その特異な文化哲学を思想史の布置の中に位置づけることを目的としている。 平成26年度は、1933年のヒトラーの政権奪取直後にドイツを亡命したクラカウアーのフランス時代の諸作品を考察し、クラカウアーの思想展開にとってのそれらの意義を闡明した。クラカウアーはワイマール時代には新聞の学術文芸欄を舞台とした批判的著述家として、アメリカでは映画理論の開拓者として高く評価されたが、フランス時代の彼の作品からは、一見異質なこの二つの研究群を繋ぐ論理を見て取ることができる。にもかかわらずそれらは、従来ほとんど顧みられてこなかったのだった。 ブルジョアジーを啓蒙しドイツの野蛮への退行を阻止することこそが、ワイマール共和国におけるクラカウアーの言論活動の主たる目的であった。亡命後、まず彼は自伝的長編小説『ゲオルク』の仕上げに取り組み、第三帝国の出現を準備したワイマール共和国の、特に左翼ブルジョアジーの退廃を厳しい筆で描き出している。続く1937年の『ジャック・オッフェンバックと彼の時代のパリ』は、この直近のドイツの歴史的展開を念頭に置きながら、19世紀のフランスで第二帝政が成立しえたという謎を、やはりブルジョアジーの共和国から独裁者への逃避という観点から解いている。しかしクラカウアーによればオッフェンバックのオペレッタは、社会を陶酔させることによって第二帝政という「喜劇」の存続に寄与しながらも、反権威的なその風刺によって脱神話化作用も果たしていたのだった。大衆向けメディアの両義性に対するこうしたまなざしは、その後のクラカウアーの映画理論の基礎的な視覚ともなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ドイツを亡命してから『カリガリからヒトラー』(1947年)までに書かれたクラカウアーのテクストは、ワイマール時代の論考およびアメリカ時代のメディア理論と関連づけつつ既に読み解いている。また、クラカウアーのフランス亡命時代を扱った近年の作品、例えばDirk Oschmann、Graeme Gilloch、Olivier Agardのモノグラフィーから、『ゲオルク』や『オッフェンバック』を巡る今日の世界の研究状況の把握も済んでいる。さらに『オッフェンバック』は、日本では特にアドルノによる侮蔑的な批判を通じて知られていると言えるが、こうしたアドルノの批判はベンヤミンのボードレール論に対する彼の有名な批判と相似的であること、そして現在の眼から見れば「理論」の優位を前提にするアドルノの立場にも深刻な問題があり、むしろクラカウアーの経験内在的なアプローチに貴重な洞察が含まれていることを、クラカウアーとアドルノの往復書簡などに基づいて指摘する準備が整っている。現在、これらの成果を論文にまとめているところである。
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今後の研究の推進方策 |
クラカウアーの映画理論にとって、美術史家パノフスキーの映画論は最大の源泉の一つであった。クラカウアーとパノフスキーの思想的親近性を、二人の往復書簡それからクラカウアーの1941年のアメリカ移住直後のナチスのプロパガンダ映画分析や商業広告分析などに基づいて、明らかにする。 続いて、ドゥルーズの映画論とクラカウアーの映画理論との比較考察に着手する。両者の間に明示的な影響関係は認められないが、ドゥルーズが映画の課題を「世界への信の回復」に見ているのに対して、クラカウアーも『映画の理論』において映画の究極の使命を、「世界を我々の家にすること」と捉えているのである。ちなみにこうしたクラカウアーの映画観も、アドルノは強く拒絶したのであった。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初、平成27年度の研究のための資料も平成26年度中に或る程度購入することを予定していたが、平成27年度に一括して購入する方針に切り替えたため。
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次年度使用額の使用計画 |
必要な資料を購入するほか、ドイツへの資料収集と現地調査を計画している。
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