研究課題/領域番号 |
26370083
|
研究機関 | 東日本国際大学 |
研究代表者 |
関沢 和泉 東日本国際大学, 公私立大学の部局等, 准教授 (90634262)
|
研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
|
キーワード | 音楽論 / 中世の学問論 / 近世の学問論 / ボエティウス / 古代の学問論 / 数学史 |
研究実績の概要 |
古代末期から中世そして近世に、どのように諸学問は変化していったか、それを音楽理論を検討することで明らかにするのが今回の目的だが、本年度は、古代からの流れを検討する中で、ボエティウスの音楽論著作が、従来一般的に理解されているのとは異なった位置を占めていることが明らかになり、中世内部での時代発展の区分についても再検討の必要が明らかになった。 古代の知を中世に伝えたボエティウスは、古代と中世の境界とでもいうべき位置を占める思想家だが、音楽理論についても古代と中世を繋ぐ『音楽教程』を残している。だがその位置付けは、しばしば次のように記述されてきた。いわく、その音楽論は思弁的な要素が強く、その影響を受け(てしまっ)た中世の音楽理論家たちも思弁的な要素が強い理論書を残した。いわく、他方、音楽の実践は時代を下るにつれて進展し、また一度西洋世界から失われたアリストテレスの諸学問が再導入されることで、音楽についての自然学的(物理的)な理解が進んでいき、やがてルネサンス期の物理現象としての音響の理解に至る……。その際に、以上の展開を最も明確に示すものとしてあげられる一例が『音楽教程』冒頭の音楽の三区分であり、そこでは現在の私たちが音楽として理解するような道具の音楽musica instrumentalisに加え、宇宙全体の調和としての宇宙の音楽musica mundanaとミクロコスモスとしての人体の調和である人間の音楽musica humanaの三つの音楽が語られる。こうした一見今日の視点からは「音楽」と理解されないであろうものがすべて音楽として語られるのは、ボエティウスの観点では、音楽は音響ではなく数学的比例関係proportioのことであったからだと要約される。だが一般に言われているのよりも早い時点から、宇宙の音楽と人間の音楽も音響として理解する伝統が存在することが明らかになった。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
中世哲学会における自由学芸および教養概念の再検討プロジェクトで担当していた13世紀の検討と連携した展開を行ったため、当初初年度は9世紀までに焦点を当てる予定だった研究計画とは少し異なり、やや時代を進んで13世紀から振り返る側面が強い形になった。しかし、そこから古代末期のボエティウスを振り返った結果として、従来の音楽論史で言われてきたようなボエティウスの位置付けの問題点が明らかとなる。そして、その位置付けがそれ以前の段階でどうなっていたかを検討するため、当初平成27年度に予定されていた9世紀から12世紀における展開を、ボエティウスの受容を中心としてやや先取りした形で行った。これは、ある著作の意義だけでなく、その内容もまた、その受容と切り離せないからである。結果として研究実績の概要で述べたようなことが明らかとなった。 それはまた、研究の目的で述べたような、具体的な音楽の作曲・演奏の知と、しばしば言われるようなボエティウスに代表されるような古代末期の音楽理論の思弁的側面という対比が、実のところ通常理解されているのとは異なった形でその関係を展開してきたということである。つまり思弁的側面と実践的側面は、それぞれボエティウスの伝統と『Musica enchiriadis』等の伝統とに分裂したかのように描かれてきたが、ボエティウスの読解の伝統においても、早い時期から実践的側面が存在していたことが分かったということである。 以上のような点では予定よりも早く進んでいるが、『Musica enchiriadis』やGuido d'Arezzoの一連のテキストの分析は予定よりも遅れたため、総合して、おおむね順調に進展している、という状況である。
|
今後の研究の推進方策 |
初年度で明らかになったことが示唆しているのは、ボエティウスに主に由来する思弁的な伝統があり、それに対して実践的な新しい伝統が(a)中世も随分進んでから出てくる、あるいは(b)近世になり出てくる、といった今でも一般的な歴史観は、中世の中での展開を語る(a)ですら、かなりの程度、旧来の「暗黒の時代としての中世(から近世に向けた発展)」という古い中世観を引きずっている側面があるということである。 確かに、12世紀以降のアラビア・イスラムの諸学問やアリストテレスの再導入は存在し、音楽の実践の発展も存在した。だが他方で、ボエティウスの読解の伝統の中にも、早い時期から音響的な側面を重視する要素が存在し、これは以上のような発展史観の(少なくとも単純なバージョンの)再検討を要請する。別の良い方をすれば、どのような経緯で、このような発展史観が成立してきたかをあらためて考慮に入れる必要があるということである。 無論、それに関しては、ルネサンス以降の我々に至るまでの中世に対する視点の検討が必要だが、現時点までの研究で明らかになりつつあるのは、ひょっとするとそうしたボエティウスに古代的な要素を見る視点自体、実はある程度までは、アリストテレスの再導入が進む中、その渦中の中世において、アリストテレスとは異なった視点として、その時点に置いて再発見され、そうした側面がその対比の中で強調されるに至ったという可能性である。 『Musica enchiriadis』およびGuido d'Arezzoに繋がる伝統を検討しつつ、平成27年度、平成28年度では、そうした「中世の内部で、すでに自らの伝統を書き換えるような活動が存在していたのではないか」という点についても、重要な問題として念頭に置きつつ研究を進めたい。
|
次年度使用額が生じた理由 |
購入を予定していた書籍資料の一部が簡単に入手できない状況になってしまっていたため。
|
次年度使用額の使用計画 |
古書店等を介して購入可能であることが分かったため、本年度に購入予定。
|