山陰道・南海道に鎮座する白山神社また日吉神社について、それらを地形図上(具体的にはカシミール3Dソフト上)で確認し、鎮座状況について『神社名鑑』『式内社調査報告』また各種「地名辞書」によって悉皆調査した。 その結果、山陰道・南海道とも、山岳信仰の霊場であり修験道などの拠点とおぼしきところに白山神社や日吉神社が鎮座している例をいくつも指摘できた。具体的には伯耆の大山、出雲の鰐淵寺、土佐の室戸岬などで、但馬の進美寺や伊予にもその存在を認めうる。山岳信仰の場所に天台宗が入り込み、日吉信仰などと関連をもつようになったり、そこにさらに白山信仰が入り込んできたものであろう。西海道などでも広く認められる現象がここでもあてはまるのである。 日吉神社が、山陰道・南海道の古代官道上の至近距離に鎮座しているもののあること、延喜式内社でありながら、後年、日吉さんとか山王さん、白山様などと、日吉信仰や白山信仰の社として活動していた痕跡も何点か拾うことができ、全国的にみられる現象であることを再確認した。 伊予には、白山神社は数社鎮座するだけだが、相殿神に菊理媛や白山大神を祀る神社を探ったところ100社を上回ることが確認された。由緒などよりは中世に遡るものは見いだせなかったが、恐らく近世のある時期に白山信仰が強力に流入したことが推定され、今後の課題となった。日本海側を南下して、山陰道から西海道へという信仰伝播が予想される一方、南海道の伊予あたりから北部九州へというルートも捨てがたく、今後検証が必要となった。
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