研究課題/領域番号 |
26370106
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研究機関 | 国立音楽大学 |
研究代表者 |
加藤 一郎 国立音楽大学, 音楽学部, 准教授 (60224490)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | ショパン / パリ / 古楽復興 / バッハ / 対位法 |
研究実績の概要 |
平成27年度はショパンのパリ時代前半(1831年10月から1841年夏)におけるバロック音楽の受容について調査研究を行った。19世紀前半のドイツでは後に「大ドイツ主義」へと発展したドイツ民族主義運動が既に始まり、それを背景としてJ.S.バッハを中心としたドイツ・バロック音楽の復興が行われていた。ショパンがワルシャワ時代に経験したバッハ体験も当時のワルシャワでのドイツ的な教育理念に基づくものであった。しかしドイツと比べ、バッハという中心を欠いたフランスでは、バロック音楽の復興は散逸的に時間をかけて行われていた。当時のパリではショロンやフェティスらによる「歴史的コンサート」がしばしば行われており、そこではバッハよりもヘンデルの演奏頻度が高く、それ以外にスカルラッティ、ラモー、ペルゴレージ等が演奏されていた。その中でショパンは1833年の3月と12月にパリ音楽院のホールでヒラー、リストと共にバッハの《3台のクラヴィーアのための協奏曲ニ短調》BWV1063から〈アレグロ〉を演奏した。その演奏会に対してベルリオーズやフェティスが批評を書いたが、ベルリオーズはバッハの対位法に批判的であった。しかし、ヒラーやバイヨーらによるバッハの復興活動も当時、重要な意義を持っていた。ショパンが1838年11月にサンドと訪れたマヨルカ島に唯一携行した楽譜はバッハ《平均律クラヴィーア曲集》(以下《平均律》)であった可能性が高く、そこで完成した《24の前奏曲》が《平均律》と直接的な関係を持つことは明らかである。ショパンは1839年8月の手紙で「自分のためにバッハのパリ版の修正をしている」と書いており、これは彼がバッハ研究を続けていることを示している。ショパンのパリ時代前半は、彼が求める高度な対位法をパリの音楽的環境から得ることは難しく、彼は専らバッハ作品を基に対位法の研究を行っていたものと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究2年目は、ショパンのパリ時代前半(1831年10月から1841年夏)におけるバロック音楽の受容を明らかにすることが目的であったが、これに対して、当時のパリにおける古楽復興の実態や、ショパン自身のバッハ研究の実態が明らかになったため。
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今後の研究の推進方策 |
本研究3年目はショパンのパリ時代後半(1841年夏から1849年)におけるバロック音楽の受容に関する調査研究を行う。ショパンが求めていたバッハに代表される高度な対位法を、彼が1841年に手に入れたケルビーニの『対位法とフーガ講座』(当時のパリ音楽院の教科書)を基に学習し、彼がそれ以降の多くの作品の中で「模倣対位法」を用いだしたことが予想される。3年目の研究では、ケルビーニの教本とショパンの1841年以降の作品との関連、そしてショパンの音楽美学の指向性について研究し、本研究全体の纏めを行う。本研究の研究成果は2冊の書籍によって出版すると共に、ホームページで閲覧できるようにし、一般社会に広く公開する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成27年度はパリ調査を計画していたが、BNF(フランス国立図書館)のアーカイヴで相当の調査が行えたこと、また、研究代表者が眼を傷め(網膜剥離)海外出張が難しくなったこと等により、パリ調査を中止した。
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次年度使用額の使用計画 |
最終年度となる平成28年度には相当な研究成果が見込めそうになったので、前年度未使用額によって、研究成果を2冊出版する。
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