近代日本における文化哲学的研究、とくに美学研究を精査し、その全体像を明らかにすることで、現代の思想状況に一定の指針をあたえることが本研究の目的であり、しかもそれを、日本内部の視点に限定するのではなく、間文化的視点からおこなうことが目ざされた。 具体的には、2016年度はとくに西田哲学における「創造」ないし「ポイエシス」の概念に関する考察と、美学という研究領域の中核的概念である「アイステーシス」に関する考察が中心を占めている。(研究成果に関する記述を参照のこと)。 前者においては、創造性の表われである「詩」に関するテーマが、とりわけ瞬間との連関において論じられ、広義の哲学的時間論の一部を成す研究としての意味あいも有していた。また西田哲学の中心的テーマである純粋経験論は、たとえば芸術学者のコンラート・フィードラー(1841-1895)における「純粋可視性」の概念に呼応していると解することができ、この点に間文化的視点からの解釈可能性をみいだした。つまり美も芸術も、ある意味では、古代ギリシア以来の西欧形而上学に属しつつ、しかも近代にいたってはじめて確立された概念であるにもかかわらず、西田は東アジアにおける自己の美的伝統からそれを再解釈しようと企てたのである。このように芸術に関する省察は、西田哲学において、後期の「歴史的形成作用としての芸術的制作」にいたるまで一貫して重要な意味をもってきたことが明らかとなった。 後者のアイステーシスに関する考察は、早稲田大学において開催された美学会のシンポジウムで議論された内容をふくんでおり、本研究の中心テーマである美的なものが哲学的・文化理論的にどのように位置づけられうるかが考察された。
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