1.マルセイユのサン・ヴィクトール修道院の起源をめぐる問題について、これまで収集した資料を再検討しながら、現在のクリプトのいわゆる「聖ラザロのグロット」の礼拝空間が創設された時代がいつであるか、特にその「顔の柱」について解釈を進めた。考察の過程で、「柱」のパルメット装飾の擬古性に着目し、南プロヴァンス地方における初期中世の柱頭装飾についての問題意識を持つにいたった。 2.ロマネスク時代以前の典礼備品の形態の変遷についての研究を集中的に進めたことにより、ロマネスク時代における初期中世の「記憶」と実際の状況の照らし合わせが明確になった。 3.フォンタテーヌ・ド・ヴォークリューズ(ヴォークリューズ県)のサント=マリー=エ=サン=ヴェラン聖堂、アプト(同県)のサン=タンヌ司教座聖堂、カヴァイヨン(同県)のノートル・ダム・デ・ヴィニェール小聖堂について、おそらく11世紀後半から12世紀に創設されたと推測される聖人崇敬のための擬古的性格を持つそれぞれの礼拝堂について考察を進め、さらにブルグ=サン=タンデオル(アルデーシュ県)のサン=タンデオル教会堂の至聖所に安置されていた石棺について検討を行い、「過去のねつ造」の意図性について研究を進めた。考察の過程で、ロマネスク時代の擬古的演出において古キリスト教時代とカロリング時代の認識の違いがあったのかどうか、また11世紀前半のロマネスク的礼拝空間の萌芽期の前にどの程度の「断絶」が存在したのか、それは過去の記憶にどの程度影響を与えたのか、問題意識を持つにいたった。今後の課題となる。
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