研究課題/領域番号 |
26370140
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研究機関 | 駒澤大学 |
研究代表者 |
村松 哲文 駒澤大学, 仏教学部, 教授 (30339725)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 涅槃 / 涅槃像 / 北周 / 宇文護 / 薬王山碑林 / 陝西省 |
研究実績の概要 |
本年度は、研究対象としている3地域(敦煌・西安・四川)のうち、西安郊外の薬王山碑林(陝西省耀県所在)に所蔵されている石碑の涅槃像について検討を行った。 本研究の目的は、涅槃像の姿勢が変化する過程(仰向けから右脇を下にした姿勢)について、その変化の要因を考察することである。南北朝期に表現され始めた涅槃像は、はじめ仰向けの姿であった。これは涅槃関連の経典の記載とは相違するものであり、中国に影響を与えたインドなどの涅槃像の姿とは明らかに違う表現法である。まず本研究では、あえて仰向けに表現した理由を検討し、それがある時期を境に右脇を下にした姿の涅槃像に変化する経緯を追っていく。これまでに推論できたことは、6世紀の後半頃に、仰向けにした涅槃像から、右脇を下にした涅槃像になったことが確かめられ、その要因の一つに「涅槃」解釈の深化があったと推論してきた。 本年度着目した作例は、薬王山碑林所蔵の「田元族造像碑」である。これは北周銘のある長方形の石碑で、各面に龕や線刻が表現される。考察した図像は、石碑正面下部に線刻された涅槃像である。この涅槃像を見ると、釈迦は右手を頭につき、右脇を下にして寝台に横たわる。周囲には慟哭にむせる僧形像などが表現されており、管見のかぎり、右脇を下にした涅槃像の初期の作例となる。その造像背景を考察したところ、北周の宇文護の動向が関係しているのではないかという推測をした。宇部護の政権下では、仏教を篤く庇護し宇文護自身、訳経事業に携わるなど、仏教に対して関心の高かったことが伺える。こうした中で、本来の意味である「深い悟りの状態」ということに気づき、涅槃を「釈迦の死」という観念から脱却が図られたのではないかと推測される。今後は、当該地域で制作された「右脇を下にした涅槃」の図像が如何なる過程で広まっていくのか検討して、涅槃の解釈を推し進め、具体的な事情も考察していきたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
中国の三地域(敦煌・西安・四川)の涅槃像を追っているが、広大な中国の調査なので、時間等の理由からまだ全ての地域を廻りきれていないのが実情である。ただし、現状でできる可能な研究は着実に進めている。
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今後の研究の推進方策 |
中国の涅槃像の変遷を考察している中で、明らかに姿勢の変化が「涅槃の理解の変遷」であることが分かってきた。本研究では、そのプロセスを解明することであるが、広大な中国における図像の変遷を辿るには、もう少し時間が必要である。現在は本研究の期間内で、一応のまとめができるように調整を行っている。
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次年度使用額が生じた理由 |
調査旅費に大きく出費しなかったこと、また科研費を効率よく使用するため、価格を精査して購入したため、本年度は若干の差額が生じた。
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次年度使用額の使用計画 |
生じた差額については計画的に使用したいと考えている。具体的には資料調査の旅費、関連書籍代などに充てる計画を立てている。
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