研究実施計画において、最終年度は、オーストリア社会民主党の音楽政策を同党の音楽以外の芸術政策のなかに位置付けていくことを目的としていたが、世紀末からの諸芸術のモダニズムの連続性も考慮した。 モダニズムは通常、過去と断絶する傾向にあるが、19世紀末から20世紀のヴィーンにおける造形芸術のモダニズムにみられるのは、19世紀初頭の市民の日常生活様式であるビーダーマイアーへの郷愁であった。それに対応して音楽におけるモダニズムにおいては、ビーダーマイアーを象徴する作曲家シューベルトが重要な人物となった。しかし、シューベルトは、オーストリア社会民主党と対立関係にあった、キリスト教社会党にとっても重要であった。両党から重視されたシューベルトの没後100年である1928年に開催された3つの音楽祭に加えて、先行研究では扱われてこなかったラジオ番組の違いを検討した成果を以下に列挙する。 1、第10回ドイツ合唱同盟祭および、オーストリア社会民主党が政権を担うヴィーン市主催の没後100年祭では、合唱曲が中心に据えられ、シューベルトはドイツ・ナショナリズムと結び付けられていた。 2、キリスト教社会党が政権を担うオーストリア連邦政府主催の没後100年祭では、合唱曲以外のジャンルも扱い、シューベルトがドイツとならぶオーストリアの国の大作曲家として位置づけられていた。 3、RAVAGでのシューベルトに関連する番組には、3つの音楽祭でのコンサートも含まれていたが、政治的な意図に偏ることなく対等に扱い、シューベルトをヨーロッパ各国の調和の象徴として位置づけていた。
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