海外の人々が「日本演劇」を目にする機会がほとんどなかった20世紀初頭、20年近くにわたって西欧で活躍し、彫刻家オーギュスト・ロダンに注目され、その唯一の日本人モデルともなった女優「マダム花子」の一座の実態に関する調査をおこなった。 海外における現地調査により、劇評や舞台写真等の新資料を得、これまでその実態がはっきりしていなかった1907年と1909年のアメリカ公演の模様を紹介することができたのは、学界への大きな貢献であった。マダム花子一座が本拠地としていた英国においても調査を進め、「海外巡業劇団の演劇におけるジャポニズムへの関与」という新たな研究テーマを得ることができた。
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