本研究の目的は,中世軍記が近世社会に与えた影響の一端として,地域伝承形成や,その地域における歴史認識形成との密接な関連性を明らかにすることにある。武家の家伝と結びついた軍記が領主の自己認識言説の形成に少なからぬ影響を与,領主家の自己認識が地域の伝承や歴史認識形成に深く関わっていること,背後に領国支配の戦略が潜んでいる可能性などは,既に拙著等で指摘してきたが,本研究ではこれを発展させることで,普遍的なものとしての軍記と伝承・歴史認識形成のメカニズムを解明することを最終的な目標としている。 調査は,秋田藩関係資料,南部藩関係資料,津軽藩関係資料に加えて,庄内藩関係資料などについて行なった。その結果,秋田の義家伝承をはじめとした領主家の系譜言説の多くが,『寛永諸家系図伝』,『本朝通鑑』といった寛永―寛文期における幕府主導による修史事業に端を発し,「寛文印知」に触発された各藩の地誌編纂事業等と関係しながら17世紀後半に形成されていったこと,南部藩や津軽藩の系譜言説が,『吾妻鏡』のような史書に加えて,『太平記』などの軍記が援用されて創作されていること,他家の系譜言説が参照されている可能性が高いことなどを明らかにした。したがって,軍記の注釈などで近世成立の系図などを利用する場合には,こうした事情に十分に配慮する必要があることになる。また,秋田藩同様,南部・津軽両藩においても,史実を離れて始祖言説を歴史として想像していること,その背景には,他の領主に対する歴史的正統性,同族内における正嫡性,家臣に対する領主の優位性などを主張しようという意識がうかがえること,ただし背景についてはケースバイケースで考えるべきことなどが指摘できる。 これらについては,論文や学会発表などを通して公表し社会への還元をはかってきた。また,公表結果について意見交換を行なうことによって研究の進展をはかっている。
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