最終年度を迎え、成島信遍とその周辺の資料収集、信遍の伝記事項の調査、そして年譜形式による伝記研究の進展に研究の主眼を置いた。継続して発表している「成島信遍年譜稿」は延享2年(1745)3月の「八講私記」執筆まで記述を及ぼし、ようやく余す所15年ほどで信遍の全生涯を辿ることができるとの見通しを得るに至った。 さらに、信遍の門人であった津村正恭の和文集『片玉集』の主要部分の複写を行い、信遍の周辺に位置したあらゆる階層の文人の著述を一覧できるようになったことは、信遍の相対化を図るうえで何よりの便宜を与えられたことになる。 もう一つの継続的な作業として、大田南畝編『ひともと草』の注釈を通して、近世中期の江戸の武士たちの和文・和歌の教養の水準を知るというものがある。今年度の注釈対象は唐衣橘洲「上野山花」であり、常識的な教養を身につけた中下層の武士が求めたのは、一般向けではない穿ち過ぎの表現ではなく、適度に分かりやすい典拠をちりばめた文章だったのではないかとの見通しを得た。南畝を始めとする戯作者が凝りに凝った修辞を見せ付ける穿ちの戯文とは異なる味わいを好む層が確かに存在したと考えられ、これまでとは異なる見方を近世中期の幕臣文化圏に適用することの必要性を痛感した。 幸い、次年度より「成島信遍研究ー幕臣文人の事績を通して見る近世中期江戸文壇の特徴ー」という課題で科学研究費補助金を得られることとなり、これまでに得られた情報を最大限投入することで信遍研究の完成を期することができる。
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