初代西村市郎右衛門は貞享・元禄期に好色本を中心として西鶴に対抗した京の書肆として知られるが、その二代目については不明な点が多く、その出版活動についても特に注目されることはなかった。 最終年度には、これまでの研究成果を踏まえ、初代西村市郎右衛門の出版活動をまとめるとともに、二代目市郎右衛門の動向についてもその概要を示すことができた(「二代目西村市郎右衛門の出版活動‐その登場から享保年間までの動向-」『京都府立大学学術報告 人文 68号』2016年12月)。 初代市郎右衛門は延宝初め頃の開業と推測されるが、元禄九年九月に没する。初代市郎右衛門没後、二代目は宝永期に積極的に浮世草子の出版を行い、特に浮世草子作者青木鷺水との関係を深める。宝永期は京の書肆八文字屋八左衛門と菊屋七郎兵衛とが浮世草子界の覇権を争い、八文字屋は江島其磧、菊屋は西沢一風を作者として抱えて競争を繰り広げていたが(「其磧・一風競争期」)、二代目は鷺水編著『初音物語』(宝永四年八月)を刊行し、反八文字屋勢力の一角としての動きを示す。さらに二代目は江戸市場を重視し、正徳五年には自ら江戸に進出するとともに、享保四年には出店西村源六をも開業させ、源六を通して江戸本屋仲間の結成を奉行に願い出たことなどが推測される。 本研究によって、鷺水編著、西村市郎右衛門・江戸万屋清兵衛刊『初音物語』が発見され(「鷺水の新出浮世草子『初音物語』(巻一・四)-翻刻と解題-」『京都府立大学学術報告 人文 67号』2015年12月)、二代目市郎右衛門の浮世草子界への参入、また江戸市場への積極的な進出状況が明らかとなった。二代目の江戸本屋仲間結成への関与などは、文運東漸と称される文学史上の問題を考察する上で重要な視点をもたらすことになろう。
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