研究課題/領域番号 |
26370253
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
石原 千秋 早稲田大学, 教育・総合科学学術院, 教授 (00159758)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 夏目漱石 / 朝日新聞 / 山の手 / 男性知識人 |
研究実績の概要 |
夏目漱石は「女の謎」を書き続けた作家である。漱石は明治40年に朝日新聞社の専属作家となったが、これが漱石が作家生涯を通して「女の謎」を書き続けることになった条件だったのである。それは、朝日新聞社が漱石を必要とした理由と深い関わりがある。 第一の理由は、日露戦争で新聞の発行部数が飛躍的に伸びたが、戦争が終わってどの新聞も急速に部数が落ちたことにあった。そこで、朝日新聞社は当時新聞の部数を左右した面一つの要因だった連載小説に活路を見いだそうとしたのである。朝日新聞社は、当時『吾輩は猫である』や『草枕』など、自在な作風で流行作家となっていた夏目漱石に目を付けたのだった。 第二の理由は、それまで朝日新聞は下町の商人階層をマーケットにしていた商業記事に特色があるいわゆる小新聞だったが、リテラシーの高い近代日本のエリート層が住むようになった山の手に新しいマーケットととしての可能性を見いだし、シフトチェンジを模索していた。それには、高級新聞としての目印が必要だった。東京帝国大学講師だった夏目漱石は、その目印としてうってつけだったのである。山の手知識人男子読者に向けて書くことは、漱石の朝日新聞社の専属作家としての使命だったのである。こうした山の手の男性知識人読者は、女学校出身の教育のある女性に興味を持ちながらも、彼女たちを知る方法を知らなかった。そこで、女性が「謎」に見えたのである。 そこには「他者としての女性」を知りたい、読みたいという読者の期待の地平が広がっていた。漱石の死によって未完となった『明暗』は、それまで男性知識人が担っていた「人は同時に二人の異性を愛することができるのか」という課題を、女性のお延に背負わせている。ここの、漱石が書く「女の謎」の新しい展開を見ることができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2015年度は漱石文学について集中的に分析したが、それを前後の時代に広げ始めることができている。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、明治30年代の家庭小説と女学生小説、そして大正期の白樺派を中心に考察の範囲を広げていく。
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