最終年度は短歌表現におけるテイル形について考察をおこなった。短歌表現におけるテイル形とは、例えば『一握の砂』の八十七番歌「何やらむ/穏やかならぬ目付して/鶴嘴を打つ群を見てゐる」のような歌末に「てゐる」据えた歌である。これに着目したのは、初年度において注目した助動詞の「た」による終止や(「『池塘集』考ー口語短歌の困惑ー」『国際啄木学会東京支部会会報』第23号、2015年3月)、昨年度に論じた動詞の終止形による終止とともに(「はだかの動詞たちー啄木短歌における動詞の終止形止めの歌について」『国際啄木学会研究年報』2016年3月)、テイル形は言文一致運動の進展を背景に「つ」「ぬ」「たり」「り」「き」「けり」というような時の助動詞がしだいに用いられなくなっていくなかで試された新たな表現であったからである。短歌においてテイル形は、「子供等はゆふ燒こやけと手を叩き光りの中にとびはねてゐる」のように大正期の『現代口語歌選』や、現代短歌においても「砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている」のように『サラダ記念日』などに多く用いられている。これは時の助動詞が日常の言葉から離れていく過程で、短歌がテンスだけでなく、アスペクトによって時の表現に膨らみをもたせたためであると考えられる。『一握の砂』の八十七番歌はそのもっともはやい例の一つであろう。「鶴嘴を打つ群を見てゐる」と歌いおさめられた一首では、テイル形が生み出す時間幅に全体が縁取られ、共時的に存在し、収束することなく揺曳し続けているのである。
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