研究期間最終年に当たる本年度は、前年度に行ったDickensとGaskellの小説に関する理論構築に引き続き、対象をHardyの小説へと拡大しながら、モダニズムへと至る時期におけるフィクションの変遷に、群集がどのような関わりを持っているのかについて探った。具体的に注目したのは、DickensやGaskellなどのテクストに登場する暴徒化したデモ隊が、Le Bonの主著Psychologie des Foules (1895)においてターゲットとされる群集と同種の性質を有する一方、Hardy小説に現れる祝祭日の群集が、一方向的な衝動や目的の欠如、あるいは関心の流動性などにおいて些か異なる様相を呈するという点である。そうした群集表象を読み解く際に着目したのが、Le Bonが自著において「新時代の群集」としてわずかなスペースを割く、新聞を媒介として形成される大衆である。 この概念は、後にTardeによって「群集」とは異なる「公衆」として再定義されることになるものであるが、本研究ではむしろ、こうしたジャーナリズムを拠り所にした「群集」が旧来の身体的現前を伴う群集の延長線上に出現する点にこそ、19世紀末から20世紀初頭にかけてのイギリス社会の最大の特徴があると考えた。単に新聞から影響を受けるだけでなく、むしろ新聞を媒介として遠隔的ネットワークを形成し、旧来の群集とは比較にならないほどの大きな影響力を獲得した新時代の「群集」──それこそが、モダニズム期へと至るフィクションの発展に大きく寄与したものであることを見出した点に、本研究の最大の成果があると言える。上記の研究内容は論文「群衆と19世紀イギリス文学」において発表した。 なお、すでに執筆を完了していたThe Nigger of the “Narcissus”論は、イギリスの査読誌The Conradianへの掲載が決定している。
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