過去2年間にひきつづき、関連する一次資料や研究文献を数多く購入し、当研究を完結させるための研究環境を整備した。Frederick Douglassの奴隷物語がいかに、それ以前の奴隷物語において支配的であった宗教的な回心物語(conversion narrative)の伝統に立脚しつつ、この物語伝統を書き換えたかについて研究会で発表を行い、論文を学術誌に発表した。この研究成果によって、Douglass個人の独創性の産物とみなされがちな彼の奴隷物語を、アフリカ系アメリカ人の文学伝統の内部に位置づけ、彼の革新性は神を中心とする物語形式や語彙を個人を中心とする世俗的な物語へと巧みに書き換えている点にあることを明らかにした。 また、奴隷物語におけるProvidence(神意)から運や確率論へのパラダイム・シフトについて、Douglassを中心に検証した研究発表を行った。これによって、社会の世俗化にともない、十九世紀半ばの奴隷物語を統合する世界観として、衰退しつつある宗教的な世界観とより合理的な世界観がせめぎあっていることが明らかにされた。 さらに、社会の世俗化とアフリカ系アメリカ人の小説的物語伝統の成立という点から、奴隷解放後の時代を象徴する知識人Booker T. WashingtonやW. E. B. DuBoisの著作を詳細に読み解く作業を行い、南北戦争以前の奴隷物語からそれ以降の黒人文学への発展に至る過程を解明するための基礎的整理を行った。
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