研究課題/領域番号 |
26370319
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研究機関 | 香川大学 |
研究代表者 |
松島 欣哉 香川大学, 教育学部, 教授 (20165814)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 国民文学 / 自己修養 / 超絶主義 / 学者 |
研究実績の概要 |
『香川大学教育研究』第12号(2015年7月)に、「ウィリアム・エラリー・チャニングの『自己修養論』」を発表した。チャニングは神の道徳的完全性を獲得しようとするイエスを人間の完全可能性のモデルとして措定し、自己修養は神の道徳的完全性に近づく手段であることを論じたと論証した。「自己修養論」が、アメリカ人全体の知的・文化的向上の必要性を説いた国家主義的発言であることを明らかにした点に、本論の意義がある。 『ヘンリー・ソロー研究論集』(日本ソロー学会)第41号(2015年9月)に、「ウィリアム・エラリー・チャニングの国民文学論」を発表した。1820年にSydney Smith が『エディンバラ・リヴー』誌上で投げかけた「誰がアメリカの本など読むものか」との難詰に代表されるアメリカ人の知的・文化的不毛批判に対し、アメリカ人が実際的知識の集積を誇ることで対抗する以外の方法でアメリカの知的発展の処方箋を示した点で、アメリカの国民文学意識形成における陸標となっていることを解明した点に、この論考の意義がある。 2015年10月9日に京都外国語大学で開催された、日本ソロー学会2015年度全国大会において、「Orestes A. Brownsonのエマソン批評 ― “Literary Ethics”を中心に」を口頭発表した。 『柴田昭二先生御退職記念論文集』(2016年3月)に、「Emerson の初期の評論に対する Orestes A. Brownson の批評」を発表した。エマソンの初期の評論に対しブラウンソンが加えた批評が、庇護的態度から批判的態度へと変化したことの根底には、エマソンの個人偏重の姿勢に対するブラウンソンの大衆重視の観点があり、二人の出自が大きく関わっていることを指摘した。超絶主義者たちの文学観を検討する際、階級を視野に入れるべきことを指摘した点にこの論考の意義がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究2年目の内容は、1年目の研究で口頭発表したものに再考を加え、「ウィリアム・エラリー・チャニングの『自己修養論』」(『香川大学教育研究』第12号(2015年7月、79-90))および「ウィリアム・エラリー・チャニングの国民文学論」(『ヘンリー・ソロー研究論集』(日本ソロー学会)第41号(2015年9月、21-30))に発表した。 2年目の主要な研究はOrestes A. Brownsonのアメリカ文学観を検証することであるが、これは「Orestes A. Brownsonのエマソン批評 ― “Literary Ethics”を中心に」(日本ソロー学会2015年度全国大会、2015年10月9日、京都外国語大学)の口頭発表とそれを再考した「Emerson の初期の評論に対する Orestes A. Brownson の批評」(『柴田昭二先生御退職記念論文集』(2016年3月、43-56))に結実したが、Brownsonのアメリカ文学観全体を解明するには、不十分な点が残った。
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今後の研究の推進方策 |
2年目の研究から、Brownsonの文学観は宗教観と密接に関連していることがわかったので、彼の宗教観を合わせ考察しながら、超絶主義者時代の彼のアメリカ文学観を考察することを続ける。 また、3年目の研究の中心はMargaret Fullerの国民文学観を解明することなので、6月12日に開催される中・四国アメリカ文学会のシンポジウムの発題者として、Margaret Fullerの国民文学観を考察する。その後、これに再考を加えて、論文として発表する予定である。
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