キャクストン版が印刷された時に使用された二つの印刷用原稿、ハンティントン図書館のHM136写本と、バチカン図書館のVat. lat. 11441写本のcasting-off markを世界で初めて比較することができた。バチカン図書館から入手した解像度の高いデジタル写真により、両者のマークの明らかな違いが浮き彫りになるとともに、マークの付けなおしなどの手法面においては、両者で共通する手法が用いられた可能性を指摘することができた。1478年から1480年はキャクストンの印刷工房で印刷機の新規導入等があった時期であり、活字や組み版の行ぞろえも刷新されたが、手稿でも変更点が確認できた。 またHM136写本が、いわゆるキャクストン英語の研究ツールとして極めて有用であることが印刷本との校合によって明らかとなった。現代的な文法やスペリングへの変更、語彙の取捨選択などは、ある一定の近代英語がキャクストン工房でを経てスタンダードとなったことを極めて端的に示している。英語史で近代英語の出現を考える上で欠かせない、工房での英語改変を具体的に裏付ける有用なサンプルを抽出することができた。 さらに印刷工程に関する発見としてもっとも重要な発見は、HM136写本の組版順序が各丁合ごとに、1葉から4葉へと順番に行われたが、5葉から8葉においてはつじつま合わせのために8葉から逆に組まれている痕跡がみられたことである。ページ見積もりであるcasting-offを行うにあたって8葉を一丁とする丁合は極めて重要な単位であった。丁合の最後、8葉の裏を正しい位置で終わらせるために、8葉裏をはじめに組んでから遡って版を組む独特のやり方があったということだと思われる。 最後の点は、後半に組版の間違いが集中していることから統計的に得られた文責結果である。この点についてキャクストンのデータを網羅的に取った研究は他に例がない。
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