本年度は、昨年度に引き続き、証言作品のもつ自伝的側面を考慮すべく、20世紀フランスの文筆家ピエール・パシェに注目して、彼の作品の特性、とりわけ、以下のようなたぐいまれな聴取の姿勢としての性質を分析し、国際シンポジウムで発表したうえで論文にまとめた。1937年にフランスに生まれたパシェは、ユダヤ系の出自を隠すことでナチス占領下のフランスを生き延びた子供だったが、終戦後になって初めて、自分がどのような恐怖のなかで生きていたのかを知ることとなる。終生つきまとうことになるその恐怖によって、彼は内奥/親密さの作家になったと考えられるが、パシェにおけるその内奥/親密さとはしかし、単に自己を問いただすような内省に閉じこもるものではなく、公共空間に開かれようとする個人としての在り方にほかならない。死者をも含めたその空間において、言語は、単なる意味のやり取りの手段であるに留まらず、個人間に横たわる越えがたい境界を乗り越えようとする試みとして捉えられ、その姿勢はとくに、息子である自分をもはや認識しなくなった老母に向き合うことに示されている。すなわちパシェは、意味のやり取りが困難な存在に対して、むしろ、言語の可能性を広げようとするのである。そうしたパシェの在り方は、プリーモ・レーヴィの伝えるアウシュヴィッツの子供「フルビネク」のきわめて謎めいた「言葉」――アウシュヴィッツで生まれた以上、アウシュヴィッツ以外の世界を知りえない存在による、言わば純然たるアウシュヴィッツの証言――に接近する手がかりを与えてくれるだろう。 平成28年度に行ったCERCIL等での資料調査については、今年度中に論文としてまとめる予定である。
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