「正常化」時代のチェコスロヴァキアにおけるジャズ・セクションの活動にかんする本研究課題も最終年度を迎えた。過去3年間の主要テーマにかんする調査を継続して進めながら、研究全体のまとめを行ない、ジャズ・セクションの活動の全体を浮き彫りにすることを目指した。「プラハの春」が弾圧され、「正常化」の時代となったチェコスロヴァキアにおいて、ジャズ・セクションは当時の状況をいわば逆手に取ることによって誕生し活動していた。しかし、いくらオフィシャルな立場にあったとしても、そこに生じるグレー・ゾーンを都合よく利用して非公式芸術を支援していく活動には限界があった。それはやがて主要メンバーの逮捕、拘留、そしてその裁判へとつながっていき、最後には活動停止を余儀なくされてしまう。今年度はとくに1986年から1987年にかけて起こったこうした一連の出来事を文化的観点ならびに歴史的・政治的観点から検証することに力を注ぎ、ジャズ・セクションの活動の特殊性を明らかにしようとした。その一方で、社会主義圏でジャズという音楽がどのような「意味」を持たざるをえなかったのか、あるいは、音楽の流行りが変わっていくなかでロックとどのような関係を結んでいたのか、そこでジャズ・セクションがどのような役割を担っていたのかという問題について考察する論文も発表した。その論文のなかでは、1970年代半ば以後のチェコスロヴァキアのオルタナティヴ文化を担う世代がジャズ・セクションを中心に形成されたことも明らかにした。科研費の研究課題としては最終年度となるが、この研究テーマがすべて論じ尽くされたわけでは当然ない。論文のなかではさらに、今後も機会をみつけて検討していくべきいくつかの課題についても確認した。
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