研究実績の概要 |
クリングの文芸活動に顕著な、感覚的知覚に対する意識とメディアとメディア論的な感覚へのこだわりを、おもに口頭性と(文字テクストの)視覚性という観点から分析・考察を行った。 詩人中期の作品『吸い取り紙、ベイルマーメア』("loeschblatt.bijlmermeer", 1993)のテクストでは、"e""u""i"音に関する母音弱化が顕著である。母音弱化という形式については、母音を意図的に脱落させることで発話ないし言語の口頭性が際立たせられているという見方もできる。ただしこうした文字テクスト表記上の特徴は、文字テクストとして発話や朗読というコンセプトが強調するという単純な話ではない。標準的なドイツ語正書法と異なるつづり字がスムーズなテクストの黙読を妨げ、標準的な言語体系の内部で定着している意味理解を妨げる事態、すなわち非日常的なテクストの目視体験そのものが、声による発話を想起させるような読解体験を生む。つまりここで問題となるのは言語の口頭性なのだが、そうした口頭性はあくまで文字テクストを黙読した際の視覚的印象を通じて獲得されているのである。 以上の点は、クリングが自身の舞台上での文芸活動(朗読)を「言語インスタレーション」と命名し意識的に構築していた点からも伺える。クリングの言う「言語インスタレーション」は、詩人の声を経て文字が声を通じて発生するという一連の行為を観客が視覚で捉えるその一連の動作を意味し、また徹底的に上演(Spiel)そのものとして存在する。そして即興的に詩を作って発するような行為は「言語インスタレーション」に含まれず、舞台に立つのは「詩の伝達者」たる詩人でなければならない。書物を朗読する「詩人」は、観客の現前で声を経て文字を音の知覚されるものへ戻す人である。詩はそのように「言語インスタレーション」を通じて、徹底的に個人的な記憶を呈示する媒体となる。
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