本年度は、10月28-29日に名古屋大学で行われた「第12回東亜学者現代中文国際学術シンポジウム」において、報告テーマ「從“文学革命”的時代転換為“革命文学”的時代―以馮乃超接受日本的大正生命主義與馬克思主義文藝理論為例」という中国語での発表を行い、馮乃超が大正生命主義からマルクス主義文芸理論へと転換する日本で看取した時代認識の背景を分析した。 12月1-2日に、台湾・中央研究院近代史研究所で行われた「近代東亜知識人的国家構想学術シンポジウム」において、報告テーマ「共産主義青年・馮乃超:圍繞在日本所體驗的‘大正主義’以及其後的思想展現」という中国語での発表を行い、馮乃超をはじめ後期創造社は日本で福本和夫のマルクス主義革命論の影響があったことや鹿地亘と馮乃超が共に共産党の宣伝工作を勤めていたことを報告した。 また、12月22日に京都大学人文科学研究所で行われた「毛沢東に関する人文学的研究」において、報告テーマ「毛沢東『文芸講話』の構築と機能を巡って」において、魯迅訳、外村史郎、蔵原惟人共訳『露國共産黨の文藝政策』(東京・南宋書院、1927.11)というテキストが、毛沢東が『文芸講話』を構想するうえで、「反面教師」としての影響を担う教材足り得ることを示唆しようとした。 さらに、雷震の京都帝大時代の調査研究を行い、彼は1923年3月から3年間、京都帝大法学部に在籍し、その間の指導教官は森口繁治教授であったたことが判明した。。1926年4月からは京都帝大法学部の大学院に進学し、「米国憲法研究」を学位論文のテーマとしていた。1949年に大陸・中国から台湾に渡り雑誌『自由中国』で民主憲政論を打ち立てる際に、雷震は森口繁治教授の著作『近世民主政治論』『立憲主義と議会政治』『憲政の原理と其運用』を援用していることが想定される。
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