研究課題/領域番号 |
26370415
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研究機関 | 二松學舍大學 |
研究代表者 |
松浦 史子 二松學舍大學, 文学部, 准教授 (80570952)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2018-03-31
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キーワード | 天地瑞祥志 / 祥瑞としての山車 / 海寧画像石墓 / 国家賛文 / 禅譲 / 魏晋南北朝 / 徐陵・ユ信 / 封禅文 |
研究実績の概要 |
【文献研究】①祥瑞としての山車について漢唐間の社会・文化的文脈と共に検討した。山車の受容史上重要なのは六朝後半の国家文書に見る沢馬と一対の山車である。それは後漢の封禅に由来する天子の受命を嘉す車馬の瑞と、魏晋以降の史書に於ける皇帝の至徳を象徴する金根車の前身たる殷の瑞に拠る。両者は徐陵の公用文に融合し、軍人皇帝の至徳・武勲を嘉すものとなる。さらにユ信の国家讃文では皇帝の武断政治を美化するものとして継承され、唐の封禅文も徐陵・ユ信を継承する。強い皇権を象徴する山車の瑞は南朝美文家の優れた文学を経て初めて、唐には重要な瑞として国家文書に掲げられるに至った。 【図像研究】出産・復職後の体調不良に拠り十分なフィールド調査は不能だったが、①既発表の「獣頭の鳳凰吉利・富貴」の図像について、a立教大学日本学研究所b国立民族学博物館に於いて招聘講演を行った。②唐『天地瑞祥志』に山車の図が有ること、海寧三国画像石墓の祥瑞図には山車に似た山型の図が有ることから、この山型の図を再検討した。海寧墓が呉の孫権の娘の墓に比定され、その孫呉の王朝草創期に山車に通じる黄金車が出現した事、漢唐間の墓葬画像に於いて図像例の無い主要な瑞が山の出す車の祥瑞のみである事、『瑞祥志』の図像が正確性を保つ事等から、今「山産玉璧」に比定される海寧墓の山型の図が、後漢以降次第に強い皇権を嘉す事となる山の出す車の図像例である可能性を示した(②については国立政治大学において招聘発表後、中国大陸の雑誌に投稿発表)
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
出産・復職後の体調不良により、当初の研究計画より少し遅れが生じている。
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今後の研究の推進方策 |
・山の出す車の祥瑞について、「象車」「根車」の成立と「山車」との関わりについて検討予定。 ・唐には車の祥瑞とともに大瑞として記録された「白馬朱鬣」という馬の祥瑞の成立と展開について、古く『山海経』や『逸周書』にみる「白馬朱鬣」の神馬・吉良との関わりを検討予定(魏晋の儒家的礼制、仏教・道教との関わり含む)。
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次年度使用額が生じた理由 |
育児休業取得による中断により、当初の研究計画に修正を迫られたため。
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次年度使用額の使用計画 |
当該研究の最終年度として、総括的な研究を予定している。
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