まず、雍正年間初めに杭州詩人集団によって編纂された「南宋雑事詩」が、地方詩壇の唱和集として編纂されたことを指摘した。又、この作品により、杭州詩人が名声を得、他の地方都市の詩壇に招かれて、浙派と称される詩風で知られたこと、同時に地方の雑事詩、地方誌編纂にも関わったことを明らかにした。次に、乾隆年間初期に、再び杭州に戻った詩人達が詩会を開いた時の詩風を検証し、浙派の詩風とは異なる詩風であったことを明らかにした。こうした変化の理由として、彼らが各地に求められた時期には地方誌編纂が盛んになり、特に詩に関する記録の増加が目立つことから、地方文献の記録のために浙派の詩風が求められた可能性を指摘した。
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