「翻訳し難いもの」に焦点を絞り、以下のテーマを扱った。1.枕詞。2.『萬葉集』の和歌における時間性。3.和歌における恋の象徴的表現。 1.「あしひきの」「しきたへの」「うちひさす」を挙げ、賀茂真淵の解釈の再評価を試みた。彼の解釈は科学的知識を欠くという批判があるものの、その一貫した基準が美を求める詩的なものであることを明らかにした。 2. H.メショニックの詩論によれば、詩の世界には、ある主体が存在しうるが、それが存在するためには、詩の中に時間性がなくてはならないという。第十巻第1934番歌の表現に焦点を絞り、詩の主体がどのような時間性の中に生きているかについて検討した。 また、加藤周一の理論によれば、能や歌舞伎では不動に向かう動きを観客に見せるだけでなく、観客自身の生においてその永遠の瞬間を感じ取らせるという。詩の作用によって、和歌の読者もまた、歌に現れると同時に自身の生にも「今」はっきりと現れる、ある存在を感じ取るのだとすると、その存在はメショニックの言う「主体」に通じるものではないか。読者への作用は訳し難いとしても、翻訳者はこの作用を意識すべきであり、そうして初めて和歌の持つ力を西洋の読者にも感じさせることができるのだと結論した。 3.第11巻第2919番歌の分析を通して、着物の帯紐が恋人の間に結ばれた絆を象徴することを示し、次いで第10巻第1921番歌を通して、枕詞「菅の根の」にも同様の象徴性があることを論じた。最後に第11巻第2406番歌を問題にし、従来の和歌の注釈に忠実な視点を踏まえつつ、一読者として三つの和歌を総合した新しい解釈を提案することで、より十全な翻訳に達する可能性を示した。 以上の研究を通して、和歌の「翻訳し難いもの」を示しつつ、日本的な表現の特殊性の中にある普遍性が見出されることを明らかにした。
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