研究代表者は、8月にStephan Elspass氏(ザルツブルク大学教授)を訪ね、19世紀のドイツ語観に関する専門的討議・専門知識の供与を通じて、本研究課題推進の方法論についてさらに検討することができた。19世紀に入って数十年経つと、プロイセンにおいては商業、工業、科学の振興を目的に学校の役割が大きくなり、国民を「思索的人間に陶冶する」という新しい時代の要請が生まれた。この要請に応えて、母語教育は論理性と体系性を獲得させる思考力の訓練という性格が強まった。しかし、このような言語教育観に対して、ヤーコプ・グリムは『ドイツ語文法』のなかで反対の立場を表明し、子供たちの言語能力が自由に発達するには抽象的な文法規則を教え込むことは阻害的であるとした。言語計画の重要な「遂行」の場としての文法教育に関する議論が高まったわけである。 研究分担者は、歴史会話研究の視点から、19世紀後期の文学作品に基づき、日常語に関する言語意識を調査した。訳書『歴史会話研究入門』では、キリアンによる入門書を日本語に翻訳することで、歴史会話研究という研究領域そのものを紹介した。論文「19世紀のドイツにおける「日常語」の統語構造」では、シュトルムの『人形つかいのポーレ』(1874)およびフォンターネの『ナシの木の下に』(1885)において描かれた日常会話を対象とし、標準語で書かれた小説にみられる日常会話の構造を調査し、1)会話文は地の文の半分程度の長さしかない、2)会話文でのみ文法的に不完全な文である「文相当句」が使用されている、3)会話文における「線状性」の数値が地の文の約4~6倍であり、当時の印刷メディアにおける言語としては極めて「線状性」が高い、ということを明らかにした。これらの特徴は両作品ともに見られ、当時の人々が抱いていた共通認識の一例といえる。
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