日本のロシア語教科書の多くは、文字と発音の説明に「硬母音」と「軟母音」という概念を用いる。しかし、口蓋化音と非口蓋化音の区別を意味する音の硬軟は、子音だけに存在するものだ。なぜ日本のロシア語教科書には誤った奇妙な「硬軟母音」が定着したのか、これを解明すること、そして日本のロシア語教育において「硬軟母音」を廃した新たな発音教程の実践を試みることが本研究の目的である。その目的はおおむね達成された。
まず、現在広く日本のロシア語教育の現場で使用されている主だった教科書や参考書の「文字と発音」の箇所を検証して、誤った説明や学習者を混乱させる表記を洗い出した。次に、硬軟母音の「伝統」がいつ日本に根付いたのかを、日本のロシア語教育が本格的に始まった明治期に遡って検証した。これによって、硬軟母音の起源が、明治期に日本に来た外国人教師にあることを突き止めた。日本初のロシア語教科書は、言語学やロシア語教育の専門家ではないスラブ系外国人によって書かれ、それが日本人の執筆者にも引き継がれてゆく。なお、本場ロシアでも20世紀初頭まで「硬軟母音」が使用されていたことも明らかになった。この概念は、ボドアン・ド・クルトネを初めとするペテルブルグの言語学者たちの努力によってロシアの教科書から排除されて現在に至っている。この時期のロシアにおける訂正は日本には伝わらずに、日本のロシア語教科書は明治以来の硬軟母音を踏襲していった。
最終年度にあたる2017年4月~9月まではNHKラジオのロシア語講座入門編を担当して、これまでの成果を実際の教育の現場に生かす試みとした。「声に出して覚えるロシア語」を講座名とし、発音重視、発音の仕組みを判りやすく教えることを目標とした。
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