研究課題/領域番号 |
26370765
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研究機関 | 京都学園大学 |
研究代表者 |
平 雅行 京都学園大学, 人文学部, 特任教授 (10171399)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2019-03-31
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キーワード | 文覚 / 性我 / 将軍護持僧 / 走湯山 / 永福寺 / 大伝法院 / 定豪 / 定親 |
研究実績の概要 |
今年度は収集したデータをもとに、鎌倉真言派の具体的分析を行った。 1. 論文「鎌倉真言派の成立」で以下の事実を明らかにした。(1)勝長寿院・永福寺の初代別当は、性我ではなく文覚と考えるべきだ。(2)1191年に性我は仁和寺御室から伝法灌頂をうけたが、これは将軍護持僧の整備の一環であった。そのため、この伝法灌頂は師弟関係の枠を越え、鎌倉幕府の主導で実施され朝廷がそれに協力した。(3)伊豆走湯山は延暦寺の末寺であったが、源頼朝の挙兵に協力したため幕府の直轄寺院となって延暦寺の支配から脱した。(4)走湯山には別当が置かれず一和尚を貫首としていたが、鎌倉後期に北条得宗が走湯山別当を新設してその任命権を掌握した。(5)独自財源を有した走湯山密厳院は、鎌倉中期より足利氏出身の僧侶によって相承された。そのため、鎌倉幕府が滅亡すると密厳院が走湯山全山を支配するようになった。 2. 論文「大伝法院座主職と高野紛争」(『歴史のなかの根来寺』)で平安末~鎌倉中期の大伝法院座主を検討し、鎌倉真言派について次の事実を明らかにした。(1)承久の乱後、幕府僧のトップである定豪は幕府の権勢をバックに、仁和寺御室に迫って大伝法院座主への就任を認めさせた。(2)1242年に大伝法院が焼亡すると、朝廷は鶴岡別当定親に大伝法院座主職の門跡相承を認め、幕府主導による再建を図った。1247年の宝治合戦で定親が失脚すると門跡相承は反故となり、幕府は大伝法院への関与を控えるようになった。 3. 拙著『鎌倉仏教と専修念仏』の新稿論文で以下の論点を提示した。(1)顕密体制は中世国家の構造的変化によって変容するものであり、鎌倉幕府の登場が中世の仏教体制に与えた影響を具体的に解明すべきだ。(2)幕府は東国に戒壇を新設しておらず、東国仏教界は顕密僧を独自に再生産することが不可能だった。それゆえ、東国仏教の自立論は歴史的実態に反している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
1. 本来なら本年度は最終年度に当たる。鎌倉で活動した主な真言僧約100名の事蹟を復元することによって、鎌倉真言派の動向と鎌倉幕府の宗教政策を解明しようというのが、本研究の課題である。このうち、鎌倉真言派の基本資料については、室町時代前期に至るまで、ほぼ収集作業を終えることができた。 2. 鎌倉山門派・寺門派に比べると、鎌倉真言派は予想以上に史料が豊富なため、個々の僧侶の検討に想定外の時間を要している。今のところ検討を終えたのは、予定した僧侶数の1割にも満たない。研究の進捗状況が遅れているため、とりあえず研究年度の1年延長を申請し、認められた。 3. とはいえ、鎌倉真言派の個々の僧侶の検討は着実な成果をあげている。2015年度は良基・静尊で65枚(400字詰め原稿用紙換算)、16年度は寛伝で97枚、本年度は文覚・性我らで120枚、定豪・定親らについて105枚の論考を公にした。全体的な進捗状況が遅れているとはいえ、鎌倉山門派が303枚の論文、寺門派が285枚の論考で済んだのに比べると、鎌倉真言派に関しては、既に387枚を書き上げている。これまでの経験からすれば、鎌倉真言派の検討を終えるだけの分量を発表しているが、残念ながら、予定の僧侶数の1割足らずしか検討することができていない。この研究の困難さを、是非ご理解いただきたい。 4. 研究は質的にも、大きな成果をあげている。(1)文覚は論文も多く、鎌倉真言派研究の最大の難関であったが、ここを突破することができた。そして、文覚と性我を、本主的別当と遷替的別当と捉えることで勝長寿院・永福寺の初代別当を文覚と確定することができた。(2)鎌倉幕府滅亡後、足利氏が拠点を置いた密厳院が、北条得宗の拠点であった走湯山を併呑した事実を明らかにして、走湯山研究を大きく前進させることができた。これらは鎌倉幕府研究にとっても、重要な貢献となったはずである。
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今後の研究の推進方策 |
1. 前項でも述べたように、鎌倉真言派の関係史料が予想以上に豊富であるため、僧侶個々人の事蹟の検討に、想定外の労力と時間を要してきた。これまでは特に、複雑な問題をはらむ人物の分析を優先したこともあり、論文そのものは相当な枚数を書き上げ、発表してきたにもかかわらず、人数的には、はかばかしい進展をみていない。とはいえ、東国鎌倉の仏教研究は私のライフワークである。これからも、一歩、一歩、着実にあゆんでゆくしかない。ただし、研究期間については、さらにもう1年延長することも、視野に入れておく必要があるだろう。 2. 基本的な資料収集はすでに終えているので、研究期間の延長にともなう支障は、特にないと考えられる。これまでに支給された予算の範囲で、研究を終えることは十分に可能であろう。今の私にとって必要なのは、お金よりも、むしろ時間である。 3. 今年度は、個々の僧侶にかかわる補足的な資料の収集を行いながら、一人ひとりの僧侶の検討を着実に進めてゆきたい。鎌倉時代の前期・中期については、鎌倉真言派の中核的な僧侶の検討をすでに終えている。それだけに、それ以外の僧侶の検討を進めて、鎌倉中期までの鎌倉真言派の動向を全体的に俯瞰できるような論考にまとめて、発表したい。 4. 北条時頼・時宗時代、および北条貞時・高時時代の鎌倉真言派の僧侶は多数にのぼる。それだけに、本年度のうちに一人でも多く具体的な分析に入りたい。そして、少しでも早く、鎌倉後期から末期における鎌倉真言派の検討を終えて、それを具体的論考にまとめて発表したい。また、鎌倉山門派・寺門派も含めた総括的な検討を行って、鎌倉幕府の顕密仏教政策について総合的な考察を行いたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
〔次年度使用額が生じた理由〕予定よりも2年早く大阪大学を退職して京都学園大学に赴任した。使用額の差違の発生は、多くこの点に起因する。(1)大阪大学とは異なり、京都学園大学では毎年40万円ほどの個人研究費が支出される。旅費や研究図書の購入は、一定度、それで対応することが可能となった。(2)京都学園大学の日本史コースはできたばかりであり、学生は3年生までしかいない。そのため、研究補助の人材確保に難渋しており、謝金の支出がままならない。 それ以外にも次の理由がある。(1)近年、多くの機関が所蔵資料の写真をインターネットで公開することが急速に広がっている。そのため、史料の焼き付け費が当初予定よりも大きく下回る結果となった。(2)本研究課題は、論文の発表は順調に進んでいるものの、一人ひとりの僧侶の史料が多く、事績も複雑であるため、全体的な研究の進展が遅れている。そのため、研究期間の延長を考慮し、科研費の使用を節約してきた。 〔使用計画〕大阪大学の早期退職という研究環境の変化にともない、予定よりも物品費の支出が増える見込みである。(1)京都学園大学は、大阪大学にくらべ図書の整備が十分でない。そのため、日本中世史や仏教史関連図書の積極的購入が必要となる。(2)研究補助が可能な人材の確保に難渋している。そのため、これらの経費に充てる予定であった予算を、物品費に回して研究環境の変化に柔軟に対応したい。
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