本研究では、ハンセン病の国立療養所、大島青松園と沖縄愛楽園をおもなフィールドとして、療養所内外にわたる交流と療養所を超えた病者の移動を跡づけ、その意味について考察した。具体的には、(1)療養者の手による逐次刊行物や自治会に残る史料を素材として、信仰や自治などに生きた療養者の生を描き、(2)療養者の郷里に残る墓所の調査をとおして、療養者の郷里とのつながりを問い、(3)療養者と市民と研究者による対話の場を設けて、抑圧や戦いのみに収斂しない療養者の多様な生を聞いた。また、(4)大島から熊本を経て沖縄に渡って愛楽園の基礎を築いた青木恵哉の生涯から、療養所を超えた病者の移動やつながりについて論じた。
|