研究課題/領域番号 |
26370792
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研究機関 | 山口大学 |
研究代表者 |
木部 和昭 山口大学, 経済学部, 教授 (20263759)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 日本近世史 / 対馬藩 / 五島福江藩 / 漁業史 / 大敷網 |
研究実績の概要 |
平成27年度は、昨年度に引き続き、長崎県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町)所蔵「宗家文庫」の調査を実施した。この調査では、藩庁の日記である「表書札方毎日記」から、漁業を管轄する郡奉行所設置以前、すなわち寛文10年(1670)以前の対馬藩の海漁政策に関する記事の抽出を実施するとともに、文化8年(1811)の朝鮮通信使来朝直後の藩財政窮乏と海漁振興政策の関係、文政6年(1823)の浦奉行所新設の背景などに関する記事を収集した。また、昨年度一応の抽出作業を完了した「郡奉行所毎日記」の補足調査および「一紙物」に含まれる漁業関係史料(主として佐野網に関するもの)の調査・撮影も並行して行った。 また、東京大学史料編纂所所蔵「宗家史料」の調査も昨年度に引き続き実施した。ここでは、天保期以降の「藩庁毎日記」から、対馬藩が漁業を管轄する海漁方や浦奉行所の設置・廃止を繰り返している状況を把握するとともに、豊漁・不漁がその一貫しない海漁政策の背景にあるのではないかという見通しを得た。 対馬と比較対象とする予定の五島福江藩の漁業に関しては、大敷網漁法の伝播を中心に長崎歴史文化博物館および五島観光歴史資料館で史料調査を実施した。長崎歴史文化博物館では、明治初年の長崎県庁文書から五島の大敷網漁業の実態・慣行等について調査した。また、五島福江藩はまとまった藩政史料群が残されていないが、五島観光歴史資料館所蔵の「御用日記」などの中に断片的に、泉州佐野浦漁民の入漁・定住や、長州豊浦郡漁民の大敷網入漁などの記事が確認され、対馬藩との共通性・相違点を見出すことができた。福江島では、近世初期に長州豊浦郡湯玉漁民が初めて大敷網漁法を伝えたとされる玉之浦など、主要な大敷網漁場の現地確認も実施した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
史料調査・収集に関しては順調に進んでおり、五島福江藩関係を除けば、あとは撮影不良や調査漏れ史料などの補足調査を残すのみである。 研究成果に関しては、「対馬における泉州佐野漁民の趨勢(仮題)」、「対馬藩の藩財政と海漁政策の展開過程(仮題)」、「対馬における大敷網漁法の伝播と発展(五島との比較も含めて、仮題)」の三本の論文を現在執筆中であり、平成28年度中の公表を予定している。また、対馬出漁が国境を越えて朝鮮半島に拡大していく過程について「近世・近代移行期における韓海出漁の展開過程」という論文を公表した。 最終年度に冊子体にして公表予定の「対馬藩漁業史関係史料目録」(収集史料・記事を年表風にまとめたデーターベース)に関しては、昨年度に引き続き史料分析・入力を進め、現在では天明期頃までの作成を終えている。ただし、特殊漁業である捕鯨業・海士漁(俵物生産)などは不完全なままである。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は最終年度に当たるため、研究成果の公表を最優先で進めていきたい。 具体的には、現在執筆中の泉州佐野漁民の対馬出漁、対馬藩の藩財政と海漁政策、対馬・五島における大敷網漁法の伝播に関する三つの論文をまとめて学会誌等に公表する。あわせて、他国漁民の入漁に依存していたといわれる対馬にあって、島民自身の漁業や漁業権がどの様な状況にあったのか、というテーマでも論文をまとめる予定である。 また、年末までには「対馬藩漁業史関係史料目録」を完成させて公表する。平成27年度までに天明期まで入力作業を終えているが、漁業関係史料・記事は時代と共に増加傾向にあるため、作業を急ぎたい。ただし、場合によっては、特殊漁業である捕鯨業と海士漁については割愛することもありうる。 史料調査に関しては、対馬歴史民俗資料館「宗家文庫」、東京大学史料編纂所「宗家史料」については、基本的に補足調査を実施して、「対馬藩漁業史関係史料目録」の充実を目指す。五島福江藩史料については、昨年度、十分に閲覧できなかった史料もあるため、改めて史料調査を夏頃までに実施したい。 以上のように、最終年度にかなり負荷のかかる事態となってしまったが、所期の研究目的は概ね達成できる見込みである。
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