研究実績の概要 |
四国遍路と言えば、弘法大師の遺蹟を訪ねるものとされ、現在の各札所には必ず大師堂が設けられるなど大師一尊化の傾向が強く表れている。しかし、近世以前の史料を見ると、札所には多様な信仰が存在していたことがわかる。したがって、大師信仰以前の多様な信仰を抽出し、それらがどのようにして大師信仰に一元化されるかを検討することは、未だ明らかでない札所の成立過程を探る上で有効な方法である。本研究は、各札所にある諸資料を総合的に調査することで、こうした課題を達成しようとするものである。 前年度までに、四国遍路の歴史と特徴は、一律に捉えるべきではなく、対岸の文化に影響された各国固有の特徴を持つことを明らかにした。伊予国の場合、西方の遍路を迎え、南方の遍路を癒す特徴を持っていた。西方の遍路はまず第52番札所太山寺を目指し、一周して第51番札所石手寺で結願、道後温泉で身体を癒す。太山寺については、総合調査を終え、報告書を刊行しているが、本年度は石手寺の総合調査を終え、報告書を刊行した。新発見の古文書・聖教類は5,500点を超え、この資料群の中から、全国的にも珍しい「大勝金剛像」も発見された。資料の残存状況からは、河野家・加藤家・松平家など領主との強い関係も見えてきた。さらに熊野信仰を可視化する面・絵巻の意義を再評価することができた。石手寺の総合調査からは、大師信仰の基底に、熊野信仰・阿弥陀信仰などがあり、近世以降の大師信仰隆盛後も隔夜信仰・念仏信仰・大随求菩薩信仰など庶民信仰を拡張していった様子が判明した。 このほか、弘法大師誕生地第75番札所善通寺、札所にならなかった古刹(番外札所)久妙寺の調査も行ったが、資料数が膨大であり、比較研究までに至らなかった。今後の課題としたい。
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