研究課題/領域番号 |
26370799
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研究機関 | 福島県立医科大学 |
研究代表者 |
中川 恵子(末永恵子) 福島県立医科大学, 医学部, 講師 (10315658)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 日中戦争 / 海南島 / 衛生 / 防疫 / 植民地医学 |
研究実績の概要 |
本研究の目的は、アジア太平洋戦争期の中国海南島における衛生・医療政策とその実態を分析することによって、日本の植民地医学の中国進出とその展開を明らかにすることにある。 研究開始初年度である本年度は、(1)海南島の歴史的概要を、戦前・戦中の資料をもとに把握するとともに、(2)海南島を訪問し現地で聞き取り調査を行った。 (1)海南島の地理・歴史・民俗・民俗・自然・産業等に関する記録は、主として19世紀後半あたりから特に西欧人によって刊行される。日本人によって多数の関連書物が生産されるようになったり、外国人によって書かれた海南島関係の訳書が出版されるようになったりするのは、日中戦争開始後のことである。それらは、やはり海南島の軍事的重要性と経済的有用性を意識してのことであった。 中でもスチューベル『海南島民俗誌』、台湾総督官房調査課『海南島事情』1、2、3などを通読して、海南島がどのように把握されたかを再認識した。そのことを通して気付かされたのは、海南島の住民を構成する漢族、レイ族、客家、苗族、蛋族、回教徒などの特徴を把握しようとしていたことである。 日本軍による海南島支配については、民族の区別をあまり意識せずに語られてきた側面があるが、例えば田独・石碌鉄山の土建事業では、レイ族を労働力として使用した事実があり、医療政策について解明する際にも各民族への視点が欠かせないことを実感した。 (2)海南島の定安 海口、塔昌村等で戦争当時を知る人々から聞き取りを行った。日本軍の駐留した土地、建物について記録した。また、日本軍によって掃討作戦が行われた村々を訪れたが、このような草深い奥地にも分け入ったのか、という感慨を抱いた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
予定していた海南島調査は実施できたが、海南島には文献があまり残存しておらず、入手できなかった。 また、基本的な、海南島の地理・歴史・民俗・民俗・自然・産業等に関する記録を通読するにとどまり、陸海軍の文書や台湾総督府の行政文書の読解にまで踏み込めなかった。
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今後の研究の推進方策 |
まだ解読できていない、海南島を占領した陸軍の文書記録『飯田支隊海南島攻略戦闘詳報』(1939年1月~2月)や海軍の文書記録である『海南警備府戦時日誌』(1941年12月~1944年7月)をはじめとする軍の諸記録の中から衛生・医療に関する記述に注目して、この地の植民地医学の背景となる軍事作戦および占領地統治について把握したい。そのほか、陸海軍の文書や台湾総督府の行政文書の読解を順次すすめたい。
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