研究課題/領域番号 |
26370803
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研究機関 | 鶴見大学 |
研究代表者 |
石田 千尋 鶴見大学, 文学部, 教授 (00192485)
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研究期間 (年度) |
2014-04-01 – 2017-03-31
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キーワード | 日蘭貿易 / オランダ船 / 脇荷貿易 / 脇荷物 / 出島 |
研究実績の概要 |
平成27年度は、研究課題のもと、特に考察年代を19世紀前半に設定して主に以下2点を中心に調査・研究・発表をおこなった。 まず、1点目としては、弘化2年・3年(1845・1846)を事例として、オランダ側史料と日本側史料とを照合し、オランダ船が持ち渡った脇荷物に関する基礎的研究をおこない、論考2点を発表した。昨年度弘化4年時を事例としておこなったが、それの継続作業でもあり、今年度の研究とあわせて弘化期の特徴をも考察した。当時の脇荷貿易は、バタヴィア政庁が許した賃借人による取引であり、ガラス器や陶磁器といった食器類、さらに薬品類が非常に多く、その他雑貨類や酒類などで、本方荷物にはみられない多岐にわたる品々が存在していた。また、書籍類などは脇荷取引以外として賃借人によって持ち渡られ取引されていた。このようにして弘化期に賃借人によって持ち渡られた品々は、当時の蘭学興隆の面からみると文化史上、大変重要な意義を有していたといえる。19世紀も中期を迎えるに従って日蘭貿易における脇荷取引、および賃借人による「自由処分」の品々は、その取引量と種類の多さより重要な取引となっていたが、弘化期の事例からもそれが理解できた。 2点目としては、報告者が所属する鶴見大学文化財学科に前年度寄贈された「更紗裂」432枚について整理と考察をおこない、論考1点を発表した。この「更紗裂」はオランダ船が近世後期に日本に輸入した更紗の裂(端切れ)であり、本方貿易と脇荷貿易で取引されたものと考えられる。これらの裂はインド産の更紗裂とヨーロッパ産の更紗裂からなっている。何故このような裂の形になっているのか、また、どのような経緯で現在のような端切れの塊として存在しているのかを考察し、さらにこの寄贈「更紗裂」の特色とともに史料的価値について言及した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、近世後期(特に19世紀前半)、日本にオランダ船が持ち渡った私的貿易品といわれる脇荷物に焦点を絞り、その輸入実態(品目名・種類・数量・原産地等)を具体的な事例を通して解明し、国際的商品流通ならびに長崎を起点とする国内流通とその文化的影響について考察しようとする基礎的実証研究である。 平成27年度は、考察年代を19世紀前半に設定し、オランダ側史料(「送り状」等)とその翻訳である日本側史料(「積荷目録」等)を収集、照合し、オランダ船「脇荷物」に関する彼我の用語を確定し、如何なる脇荷物が当時、日本に入って来ていたかを究明するとともに、脇荷物の日本側に与えた文化的・社会的影響を調査研究していくことであった。 日本側・オランダ側の史料収集と照合については、計画的に進み、発表の面では、弘化2年・3年(1845・1846)の2年度分を詳細におこなうことができた。また、輸入品の日本への影響については、実物である更紗裂を通して検討することができた。
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今後の研究の推進方策 |
オランダ船輸入の脇荷物の実態を解明するためには、その基礎作業としてオランダ側史料と日本側史料の収集・照合が必要である。平成27年度は、弘化2年・3年(1845・1846)を事例におこない、報告することができたが、このような事例研究を今後も積み重ねていく計画である。 また、19世紀前半にはオランダ船脇荷貿易のシステムが改変されたと従来よりいわれているが、その実態の詳細は未解明である。この点を昨年度に続いて調査検討し、当時における脇荷貿易をオランダ側・日本側の事情を背景として究明していく計画である。 さらに、脇荷物の取引を担当した阿蘭陀通詞が書き留めた「諸書留」(長崎歴史文化博物館収蔵)を活用し、その記述内容にオランダ側史料を照合する形で調査分析し、オランダ船が輸入した脇荷物とは当時の日蘭貿易の上でどのような位置づけができるのか研究を進め、研究の最終年度として3年分の成果をまとめるつもりである。
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次年度使用額が生じた理由 |
平成27年度の研究において、史料調査を予定していた史料館との日程調整がつかず、やむを得ず断念せざるをえなかったため。
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次年度使用額の使用計画 |
平成27年度に予定していた史料調査をおこなう。(旅費に使用)
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